ニューヨーク・マディソン街――、 「伝道師」としての使命を胸に挑んだ海外1号店の出店。

ニューヨーク・マディソン街――、 「伝道師」としての使命を胸に挑んだ海外1号店の出店。

Profile

三皷 輝明

メーカーズシャツ鎌倉株式会社
店舗統括兼 MEN’S渋谷マークシティ店 店舗責任者
2010年入社 外国語学部英米語学科卒

米国留学を含む大学生活から導かれた
「海外で働きたい」という強い想い。

1年間の米国留学を含む大学生活。そこで得た知見や経験が、私の進路を決めました。大学進学にあたって選んだのが、中学・高校時代に得意としていた英語系の分野。当時、将来の明確なビジョンは持っていませんでしたが、得意な領域を究めたいという想いがありました。そして進んだ外語大の環境が決定的な影響を及ぼしました。それは、留学生が非常に多い大学であり、学内外で外国人との交流が多かったということです。

多くの外国人の友人と日々触れ合う中で抱くようになったのが、日本的価値観への違和感でした。日本にある個性を抑圧するような息苦しさ、あるいは長いものには巻かれるといった主体のない集団主義など、当時は日本的なものへの反発があり、それが米国留学を促した背景にあります。この留学は1年間と短期間でしたが「英語で勉強する」ことを目指したもので、米国の大学では経営・経済をはじめとしたビジネスを広く学びました。こうして就職の時期を迎えたのですが、留学を含む大学生活を通じて決めていたのが、海外で働くことです。少しでも早く海外で働ける場を考えていました。

そうした中で出会ったのがメーカーズシャツ鎌倉(以下、鎌倉シャツ)です。私が就職活動をしていた2010年当時、鎌倉シャツは数年内に米国・ニューヨークに初出店することを打ち出していました。早く海外で働ける可能性があることに加え、まだ発展途上であるからこそ今後の成長性に期待できること、またシンプルに、販売スタッフとして人と接する仕事であることにも魅力を感じて入社を決めました。

ニューヨークの「紳士服の聖地」に乗り込む。
ハリケーン襲来の日に1号店オープン。

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私の場合、入社当初から海外勤務を射程に置いていましたから、すべては海外勤務のための準備期間と考えていましたし、会社サイドも海外出店に向けた人材として対応していただいたと思います。入社後は半年間、品川店で接客サービスの基礎を学び、その後新規出店であった羽田空港国際線ビルの店舗に異動。海外のお客様対応を任されました。その後、ニューヨーク出店が具体化、社内公募による試験を経て選抜されました。そして入社2年後の2012年10月、鎌倉シャツとして初めてとなるニューヨーク・マディソン地区の海外1号店オープンのために渡米したのです。

海外への進出は、当社の会長・貞末良雄が常に夢として抱いていたことです。しかもマンハッタンのマディソン街に出店することが目標でした。この計画は私が入社する数年前から動き始めたもので、およそ4~5年の時間を費やして最良の物件を見出しました。マディソン街は、元々「紳士服の聖地」といわれているところで、Jプレス、ポール・スチュアート、ブルックス ブラザースといった高級紳士服店が軒を並べる地域。激戦が予想されるその地に私が立ったのは、同年10月10日でオープン20日前のこと。スタッフは、日本から店長と私、現地採用の日本人4名の計6名の陣容でした。

当時、私が胸に秘めていたミッションは、良質な「Made in Japan」の鎌倉シャツを現地の人に認知させること、「伝道師」として多くの米国人に鎌倉シャツを知ってもらうことでした。オープン当日は、米国東海岸を襲ったハリケーン「サンディ」の上陸直後で天候に恵まれなかったものの、災い転じて、売上自体は順調な滑り出しを見せました。しかしその後数ヵ月、売上げが低迷する厳しい局面が続いたのです。それを打開するため、ビラ配りなどのアナログ的手法からネットを活用した記事配信まで、「何が何でも鎌倉シャツを知ってもらう」取り組みを進めました。知ってもらえればお客様が増えることを確信していましたから。

「高品質で低価格」と「接客サービス」が与えた驚きと衝撃。
店舗運営における人のマネジメントの難しさ。

ニューヨーク店が低迷を抜け出すきっかけとなったのは、「口コミ」の拡散です。米国は日本と異なり、いいものを共有し褒め合う文化があります。したがって口コミのスピードもその量も日本とは比較になりません。当時、ネット上の口コミサイトの進展が拡散に拍車をかけました。それは、購入していただいた現地の多くの人が、鎌倉シャツを高く評価したことを意味しています。

当社はできることは自分たちでやるというのがモットーです。中間業者を利用せず、工場で縫製された製品を直接店舗へ送ることで、高品質のシャツを低価格で販売。そのスタンスは米国でも変わりがありません。できることはすべて自分たちでやることで、米国でのシャツの価格は1枚79ドル、近隣の紳士服ブランドシャツの約半額に設定しています。

米国人の洋服やシャツへのこだわりは、日本人の比ではありません。たとえばニューヨークのお客様はシャツを購入する際、必ずといっていいほど試着します。サイズ感、フィット感を確認し納得しなければ購入しません。そして鎌倉シャツを試着したお客様のほとんどが購入してくれました。「この品質でこの価格」という驚き、信頼に足る製品であることの納得感、「Made in Japan」への信頼などを背景に徐々に支持を集め、固定のお客様を獲得していったのです。

こうした「高品質で低価格」という製品自体のインパクトに加えて、現地のお客様の心をつかんだのが、日本独自のサービスの提供でした。たとえば、雨が降っている日の買い物袋にはビニールをかけて、雨や泥が付かないようにするのが日本では当たり前になっていますが、それをニューヨークで実施すると、まず驚かれ、そして喜んでいただきました。元々、接客への期待値が低いエリアであり、私たちが提供する極めて丁寧なサービスは驚きを持って向かい入れられたのです。それが顧客獲得の大きな力になったと感じています。

店舗を運営する立場として、最も困難さを感じたのが人のマネジメントでした。現地採用のスタッフには、製品知識や当社のポリシー、接客サービスなどあらゆる面で教育を行い、必要レベルのスキルを習得してもらいました。ただ、仕事への熱量、働くことの価値観においてのギャップは少なからず存在していました。当初、メンバーは同じベクトルを持っていると思っていましたし、社運を賭けたニューヨーク出店に対する想いを共有していると思っていたのですが、それはいわば私の勘違い。その齟齬を解消するために私は自分の考えを改め、彼らなりのそれぞれの考えを受け入れる、言い換えれば多様性を受容することにしました。文化、価値観、バックグラウンドの異なる地で、相手を理解し受け入れることの大切さを再認識したのです。

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米国で得た俯瞰的視点と寛容さ。
加速するグローバル展開の一翼を担いたい。

2015年11月には、ニューヨークの世界貿易センタービル跡地に近い大型複合商業ビル「ブルックフィールズ・プレイス」に2号店を出店。その立ち上げにも関わり、2017年3月に帰国しました。ニューヨーク在住の4年半は、一言で言えば「夢のような楽しい時間」でした。ニューヨークという場は文字通りダイバーシティの街であり、バイタリティ溢れる刺激的な街です。私にとって大きかったのは、外から日本を見ることができたこと。米国人が日本のサービスを高く評価していることが示すように、日本が持つ文化や価値観の素晴らしさに気付くことができました。渡米前までは、どこか狭量なモノの見方をしていたと思いますが、俯瞰的視点や幅広い視野、そして寛容な心を培うことができたと感じています。

帰国後は、MEN’S渋谷マークシティ店の店長の傍ら、スーパーバイザーとしてニューヨーク2店舗、福岡、新宿の店舗を担当しています。具体的には、各店舗の円滑な運営、順調な売り上げ確保に向けたサポートや指導を行う一方、店長やスタッフとコミュニケーションを重ねる中で課題を明確にして解決策を共に考え、また、働きやすい環境整備を目指した仕組みや制度作りなどに取り組んでいます。

当社会長の目指す姿、哲学に近江商人の言葉である「三方よし」があります。三方とは「売り手、買い手、世間」を指しますが、お客様が満足することのみならず、当社で働く人間が仕事に誇りを感じ、当社で働くことが楽しいと感じること。それが世間である社会への貢献にもつながるという考えです。今後、どのような業務に就くにしても、この「三方よし」を具現化していくことが、私が目指すものの一つです。同時に、今後一層加速するであろう、グローバル展開の一翼を担っていきたいと考えています。

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