
地域の方々と力を合わせて進みたい。「全農美土里ファーム」が目指す未来へ。
地域の方々と力を合わせて進みたい。
「全農美土里ファーム」が目指す未来へ。
このストーリーのポイント
- JA全農の事業の幅広さを実感
- 様々な課題を一つずつ解決しながらプロジェクトを進める
- 地元の皆さんの期待を大きな力に変えて
福島の農業復興の“核”となることを目指す「全農美土里ファーム」。2026年の一部稼働に向けて、工事が進む。その構想段階から乗り越えてきた困難ややりがいなどについて、振り返る。
全国農業協同組合連合会福島県本部
山内 純也
畜産部
復興農場設立準備室 室長
愛媛県出身。法文学部人文学科卒。2003年、県農えひめ(2004年全農統合)入会。同施設住宅課、同畜産部畜産生産課、JA西日本くみあい飼料出向、全国農業協同組合連合会畜産総合対策部整備推進課、同畜産生産部生産基盤課等を経て、2024年4月より現職。「全農美土里ファーム」の運営準備に関する業務に携わる。
日本の農業をいかに支えていくか
私の実家は愛媛県の山奥にある兼業農家です。祖父母や両親が勤めに出ながら農作業にも携わっている姿を、子どもの頃から見て育ちました。農業は常に私の身近にあったのです。そのため自分も実家の土地を継いで、多少なりとも農業に携わることになるんだろうな、と考えていました。県農えひめ(現・JA全農えひめ)に就職したのも、自然な選択でした。
まさか愛媛から遠く離れた福島で「全農美土里ファーム」に携わることになろうとは、当時、夢にも思いませんでした。
転機となったのは入会4年目に、当時のJA全農えひめの直営農場を担当し、初めて畜産に携わったことです。当時は畜産のことは何もわからなかったのですが、担当業務をすすめるなかで畜産の奥深さ、面白さを感じました。その後、JA全農系列の飼料会社に出向し、家畜、そして畜産農家にとってのエサの重要性について学びました。その後、今度は東京の全国農業協同組合連合会(全農)本所に異動。そのときに立ち上がったのが「全農美土里ファーム」の構想でした。
私は、この構想が立ち上がった時に担当部署に所属していたため、最初からプロジェクトに携わらせていただいていますが、当時はこれだけ長期間に渡ってこのプロジェクトに携わることになるとは思いませんでした。
日本の農業は、生産者の高齢化や後継者不足などで非常に厳しい状況にあります。その生産基盤をどのように支えていくかは、大きな課題であると考えていました。そこに襲ってきたのが2011年の東日本大震災です。福島の農業は大きく傷つき、基盤の縮小は避けられない状況でした。
このプロジェクトの担当となり福島に来るたび、被災者の皆さんが大変なご苦労をされている状況を目の当たりにし、また、地元の方々の温かな人柄に触れた経験があったからこそ、「全農美土里ファーム」は何としてもやり遂げなければならないプロジェクトだと強く思いましたし、現在もその思いは変わりません。
いくつもの壁を乗り越えて。プロジェクト実現への軌跡
「全農美土里ファーム」は、全国農業協同組合連合会福島県本部のグループ企業である株式会社美土里耕産が設立・運営する大規模農場です。この農場の設立業務を支援するために設けられたのが私の所属する復興農場設立準備室で、私はその室長を務めています。
具体的な業務は幅広く、工事の進捗管理や人材の雇用、国や県など行政との調整など、「全農美土里ファーム」開業に向けて必要となる様々な業務を美土里耕産とともに行っています。今後は美土里耕産という会社自体が大きくなるため、それに伴い必要となる情報システムをどうするか、といった課題にも取り組んでいます。
「全農美土里ファーム」は東京ドーム約6.4個分もの広さの敷地にできる予定です。まず苦労したのは、この候補地探しでした。決定までいくつもの候補地をピックアップし、有力な候補地がやっと見つかったと思って井戸を掘ったら必要となる水量がまったく出ず、泣く泣くあきらめたこともありました。
また、建設費の高騰にも直面しました。資材の値上がりだけでなく、人件費の上昇も大きく影響を受けました。コロナ禍でストップしていた全国各地の工事がこのタイミングで一気に動き出したこと、大阪万博に代表される大規模工事案件が進んでいたことなどにより、作業員が絶対的に不足したうえ、働き方改革に伴う、いわゆる2024年問題で、建設作業者の働く時間が厳しく規制されるようになったことも響きました。このまま施工業者さんが決まらなかったらどうしようと悩む日々が続きましたが、幸いにも畜産施設の建設経験が豊富な業者さんに巡り合うことができ、現在は順調に工事が進んでいます。
現在工事を進めている土地は、大震災前には地元の酪農家の方が草を育てていた採草地でしたが、震災後は廃業に伴い利用されておらず、地元の田村市を介して私たちにご紹介いただいたという経緯があります。
この土地は十分な敷地面積や必要な水源は確保できる一方、道が狭いことが難点でした。「全農美土里ファーム」ほどの規模の農場となると、毎日のように大型のトラックやトレーラーが行き来します。しかしもともとあった道は2トン車が通るのがやっと。アクセスを確保するために新たに道を造る作業が必要でした。また、土地の起伏の大きく、牛舎建設のためには大規模な造成工事が必要となりました。
このようにいくつもの課題はあったものの、一つひとつ解消していき、ようやく稼働開始を来年に控えるところまで来ました。もちろん本番は稼働開始後なのですが、振り返るとよくここまでたどり着いたというのが実感です。
前に進まなくては、という使命感で
地元の皆さんに向けての説明会で感じたのが、「全農美土里ファーム」に対する期待の大きさでした。実は畜産は臭いの問題などもあってあまり歓迎されないこともあるのですが、この地域は畜産が盛んであったということもあり、地元の皆さんは特に違和感なく受け入れてくださいました。それどころか大震災以降、地元の産業・経済が衰退する一方の中、新しい大規模農場が誕生することに対して、雇用も含め大きな期待を感じました。
そうした方々の期待の声に接するたび、「全農美土里ファーム」が“核”となって大震災からの復興や畜産農業の規模拡大を推し進めていかなくてはならないとの決意を新たにします。
苦労ということでは、コロナ禍での出来事が思い出されます。
当時、コロナ禍で学校が休校となって給食が停止したこと、外国人観光客の減少や外食控えなどで牛乳や乳製品の需要が低迷したことから、せっかく搾った生乳を廃棄せざるを得ない生産者の方々がいたなかで、「果たしてこのような大きな規模の農場が必要だろうか」という議論が起きました。
しかし、ここで歩みを止めることは大震災からの復興を止めてしまうことに繋がりかねないとの危機感から、関係者と協議を重ね、前に進み続けました。大変な逆風であったことは確かですが、乗りきることができたのは、地元や行政、全農グループ内外の多くの方々のお力添えがあったためです。
「全農美土里ファーム」は2026年の稼働開始、2028年の本格稼働を予定しています。課題はまだ山積していますが、一つずつ解決し、乗り越えていって、ぜひスタートにこぎ着けたいと考えています。
このようなビッグプロジェクトを通じて大震災からの復興の後押しができることは、非常に大きなやりがいであり、喜びです。さらにギアを上げて、走り続けていきたいと考えています。
ゼロから学びながら育ってほしい
今後取り組んでいく課題の一つが、人材です。
畜産と聞くと、過酷な労働環境を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、「全農美土里ファーム」では搾乳ロボットをはじめ、様々なテクノロジーをふんだんに導入することで、牛にも人にもやさしい環境を目指しています。生き物が相手ですから365日、農場としては1日も休むことなく稼働することとなりますが、シフト制で計画的に休みを組むなど、従業員の方々にとって働きやすい職場を目指していきます。
何よりもゼロから新しい農場の立ち上げに関われる機会はめったにありませんから、ぜひ大勢の方に挑戦していただきたいと考えています。
「全農美土里ファーム」では、牛と関わる業務以外にも様々な業務があります。大規模農場ですので重機が日々走り回ることになり、その作業やメンテナンスも重要な業務になります。
畜産の経験・知識がない方ももちろん歓迎します。入社後は現場で一緒に働きながら、経験豊富な社員から学んでいただくことになりますので、経験がなくても安心してご入社いただければと思います。
「全農美土里ファーム」は、自分たちだけの成功を目指しているのではありません。「全農美土里ファーム」で育てた子牛を地域の酪農家の方にお届けすることにより、被災地の12市町村で畜産・農業に携わっている、あるいは震災前に携わっていた方々が営農再開や規模拡大したり、畜産や農業に興味がある方が新規就農したりすることに少しでも役に立つということが目標です。これを通じて地域の畜産や農業が活性化し、将来的に地域の皆さんに「全農美土里ファーム」ができてよかった、と感じていただきたいと考えています。
私には子どもが3人います。今は福島に単身赴任しており、離ればなれの生活となって丸4年を迎えようとしています。子供たち、特に末っ子に対しては、0歳のときに福島に来てしまったので父親らしいことをあまりしてあげられていないのが心残りですし、妻にも大変な苦労をかけているという心苦しさもあります。家族に苦労を掛けている分、まずは「全農美土里ファーム」をしっかり稼働させ、いつかぜひ農場で生産した牛乳や牛肉を家族全員で味わいたいと思います。