ふつーな学生から、世界に羽ばたく人材に、そしてもっと大きな人間へ

ふつーな学生から、世界に羽ばたく人材に、そしてもっと大きな人間へ

ふつーな学生から、世界に羽ばたく人材に、
そしてもっと大きな人間へ

このストーリーのポイント

  • とりたてて特徴のなかった学生を見出し、成長させてくれた同期、先輩、会社
  • 「このシートベルトを作っている会社」と話すと、友人も「これか!」と共感
  • 手を挙げて社内改革!アジア出張などを通して、プライベートでも海外へ飛ぶように

-profile-

酒井 大志 

株式会社東海理化

事業企画部 セイフティビジネス室
2012年4月入社

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大学を卒業後、2012年4月、新卒採用にて入社。東海理化の中枢を担う『事業企画部 セイフティビジネス室』にてグローバルに活躍。プライベートでも国内外の旅行を楽しみ、コロナ禍ではトレーニングに励むなど、公私も充実。東海理化の明日を担う存在として期待されている。

かつては特徴の薄い〝平凡な学生だった〟と話すが、現在ではセイフティビジネス室の中心的存在としてチームをリードする。セイフティビジネス室とは、〝事業計画管理〟、〝合理化のフォローアップ〟、〝原価見積もり〟などを担う東海理化の中枢部署。酒井は主に海外事業体の管理業務を担当し、グローバルに活躍。全国から集まった個性的な同僚や、数字の飛び交う現場をこなす上司に刺激を受けることで、その才能を徐々に開花させ、期待の中堅社員として羽ばたく。

自分は至って
平凡な学生でした

私は今、東海理化の中枢部とも言える『事業企画部 セイフティビジネス室』に在籍しています。シートベルト製品に関する企画業務を担い、コロナ前には、年に数度、アジア圏に出張。海外事業体の収益管理を行うなど、グローバルに仕事をしています。このインタビューを受けるにあたり、人事部は私のことを「論理的思考と知的好奇心をもって、まだ見ぬ価値に挑戦できる人」と、表現してくれました。実は、それを聞いて意外だったんです。学生や就活時代の自分を思い返すと、大きな挑戦や行動力があったわけでもなく、平凡な学生でした。”論理的思考”や”知的好奇心”は東海理化の環境と周りの仲間のおかげで自然と得られたものなんだと思います。

中学・高校生時代は、勉強もほどほどに、部活に特別打ち込んでいるわけでもありませんでした。就職活動においても、熱心だった方ではなく、規模感の大きい地元企業を数社受けただけで、最終的には〝地方公務員か、内々定をもらっていた東海理化か〟の選択になったのです。そんな中で就職を決めた理由は、東海理化は車を快適にするような各種スイッチやキーロックを作っている会社。私が育った愛知では、車は身近なもの。車産業関係に従事している人も多く、自分も車を日常的に運転しており、親しみがありました。友達に、自分の仕事を説明する時、内容の分かりにくい公務員より、「俺の会社、このシートベルトを作っている」と話せる方が、友達に共感をもってもらえるなと。結果として周囲に影響力を持ち、しあわせを与えられると思い東海理化への入社を決めました。

採用面接は緊張していたので、何を喋ったか、まったく覚えていません。ただ、面接官が喋りやすい内容を引き出してくれ、面接というよりはお喋りをしていた印象です。聞かれたことに答えていくうちに緊張がほぐれて、リラックスできたことを覚えています。〝自然体でいられる社風〟を肌で感じました。

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話しやすい空気を作ってくれた面接。
いろんなタイプが集まった同期。

そんな平凡な私の世界が徐々に広がり始めたのは、就職活動から入社後1年目にかけてでした。新人研修は4ヶ月。導入教育やビジネスマナーなどを学ぶ集合研修から始まり、2カ月目からは工場の間接部門、生産部門での実習がありました。私は偶然、その後、同じ工場の工務部に配属になったのです。

研修では社会人基礎から会社のことまで多くを学びましたが、全国から集まってきた同期と仲良くなって、今も助け合う仲間になったのが一番の財産でした。最初の一年は、よく遊びました。皆を誘っては、花火、海水浴、スノボー、初詣!金曜日になったら飲みに行って、時には朝までカラオケ!車に乗ってわいわい騒ぎながら、全国各地をまわりました。色んな土地からやってきた同期やUターン生もいたのですが、皆の言葉が徐々に名古屋弁に染まっていくのを、面白がったりしていました。はじめて海外に行ったのも同期と一緒でした。「どうして今まで行かなかったのだろう」と思うくらい良かったです。

研修を終えてからの新人時代も、まだまだ意識が足りませんでした。受け身な姿勢でいることが多く、上司に怒られることもしばしば。例えば、ある時、「この打ち合わせを開きなさい」と上司に言われ、自分が主催者のくせに、〝この会議を何のためにやるのか〟を理解しようとする姿勢がなく、ただただ打ち合わせを言われた通り調整をしていました。そうすると「主催者としての配慮が足りない!」と。当時は、なぜ怒られるのかも分からなくてショックを受け、「会議を開けと言われたから、きちんと開いたのに、何が悪いのだ」とムッとしていました。今考えると自ら考える姿勢もなく、怒られて当然のことが、分かっていなかったのです。何かのプロジェクトがあるとして、その目的が何か、その先にどういった効果が待っているか、それを明らかにして主体性を持ち取り組むことが大切です。

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数字が飛び交う現場、
初の中国出張!
環境に刺激を受けて開花

現在の『事業企画部 セイフティビジネス室』でも大きな刺激を受けました。55名ほどが在籍する部署のうち10名ほどのビジネス室。事業計画や国内外の事業体の管理、利益計画や合理化計画。製品原価の見積もり、原価低減活動の推進、海外事業体の収益管理を担っています。そこで私は、先ほどもお話ししたように海外事業体の収益管理とシートベルト製品の企画業務、新製品の原価企画や見積もりを担当しています。役員の近くで仕事ができるのが、やりがいで、スピード感をもって正確な企画を提案できると、それがすぐに次のステップに繋がっています。

当時、周りを見渡すと、優秀な先輩ばかり。論理や数字にも強くて、「利益率が何パーセント」「総原価がいくらになるか」と部署内に、数字が飛び交っていました。製品や製造工程に関する知識量、言葉の持つ説得力、姿勢も違っていました。皆が前向きで、これまで東海理化で「できません」という言葉を聞いたことはほとんどありません。自分の姿勢や能力とのギャップに驚き、「ついていけない…」と、圧倒されました。

そんな新人時代の私に東海理化はチャンスを与えてくれました。各海外拠点で抱えている課題の解決するため、中国への出張担当に指名されたのです。今考えると、当時の私は、スペシャリストでもありませんでしたし、部署内で他に適材はたくさんいました。わざわざ経験の少ない私に任せたのは、東海理化の〝懐の深さ〟としか言いようがありません。

はじめての中国出張では、文化の違いに驚きました。現地の従業員は、日本人のように行間を読んで、仕事をしてくれない。海外拠点で動くということは「適切に伝達する力を持つ」「色んなことをケアできる大きな人間でなくてはならない」と気づきました。

海の向こうの経験で得たのは、「外で仕事をすることは、自分をひとまわりもふたまわりも成長させる」という実感でした。

私は、こういった社会人経験の積み重ねから、気持ちが外に向かって解放されていったとでもいえばいいのか、自然と変わりはじめました。プライベートでも海外旅行が好きになり、長期休暇は海外旅行をしていました。イタリア、ベトナム、インドネシア、タイ、フィリピン、中国、韓国、シンガポール…。現地に降り立った時、特有の匂いや、肌に触れるはじめての温度…、五感に触れるものすべてが好きです。

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海外でも活躍、
社内改革にも取り組みたい。
人はいつからだって前向きになれる

今では、どんなことも積極的に手を挙げるようにしています。意見が通ろうが、通るまいが、熱意を見せることが大切です。私が今、やりたいことは、事務方としての社内改革。「昔からある方法だから」という理由で作業をするのではなく、「なぜ、このルールなのか」「なぜこのプロセスを経るのか」「なぜ、この書類は必要なのか」をひとつずつ明らかにして、他部署を巻き込みながら、より良いシステム化に挑んでさらに社内全体のスピードをあげたい。そのためには、今抱えている事業企画や原価企画、海外収益の管理などを任せられる人材を育てることも目標です。

将来は、海外でも必要とされる人材に成長したいです。いつか、自分が中心となって企画した製品で、誇れるようなものを残してみたい。海の外に飛び出し、ミクロとマクロ両方の視点を養って、求心力や説得力を持つ人間でありたいです。

最後に、就活中の皆さんへ。私は〝ふつー〟の学生でした。社会人になってからチャンスはいくらでも訪れます。そして、人はいつからでも前向きになれるのです。

もし、あなたが、私と同じように普通の学生だとしても、この東海理化では変わる可能性がたくさんあることを知ってください。一緒に新しい旅をして、ひとまわりも、ふたまわりも大きな自分に出会いましょう。

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