「二度と後悔したくない!」必死だったのにブラザーからの厳しい言葉に呆然

「二度と後悔したくない!」必死だったのにブラザーからの厳しい言葉に呆然

「二度と後悔したくない!」
必死だったのに
ブラザーからの厳しい言葉に呆然

このストーリーのポイント

  • 言葉にならぬ思いを汲み取ってくれた東海理化。「私は二度と後悔したくない」
  • ブラザーからの厳しい言葉に涙。「私、あなたの先生じゃない」
  • いつかカメラ領域で東海理化を押し上げるため、思考を止めない

-profile-

葛谷 麻未

株式会社東海理化

先行開発部 第2先行開発室 2グループ
2015年4月新卒入社

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中高校生時代はテニスに励む。性格は自称〝根暗〟。大学では教職課程を履修し、教員免許を取得。2015年に新卒採用。技術開発センター技術企画室を経て、2016年1月、先行開発部第2先行開発室に配属。

技術部署への配属時には知識不足だったハンデをものともせず、自らの努力で専門性を高め、現在では東海理化を代表するカメラ関係の製品に携わるプロフェッショナルを目指す。新しい領域にも成長意欲を強く持ち続け、結実させる背景には、入社時に抱いた〝志〟と配属部署でのブラザーによる気づきの言葉があった。

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うまく言葉で表現できなかった私の
気持ちを汲んでくれた東海理化。
次は絶対に失敗しない!

就活は地元で働けることを条件に、共感できる企業を探しました。最終面接へと進む中で、「東海理化に入りたい」という気持ちは高まっていました。でも、肝心の最終選考では、うまく受け答えができず、悔しい思いをすることに……。それなのに、結果として内定を出してくれた東海理化には感謝が残りました。「東海理化は、私が言葉で表現できなかった意欲を、汲んで採用してくれたのだ」―その恩は、入社後の働きで返そうと心に刻んできました。

「人として成長し、会社に貢献できる人間になりたい」。それが私の志。今でも、人と話す時は後悔しないように、納得できるまで言葉を尽くすよう心がけています。でも、その志が後々に、私の空回りへと繋がっていったのです。

最初に配属された『技術開発センター 技術企画室』では人に恵まれました。私はますます東海理化が大好きになったのです。主な業務は、『技術開発会議』の運営事務。技術開発会議とは製品や要素技術に関し、効果的に研究開発活動ができるように、重点事項を役員たちで審議・承認する場。議事録を確認すると、会社経営の中枢に関する話題に、「ド新人が、スゴイ情報を知っているな…」という印象でした。

展示会やイベント対応業務もあり、有名なところでは、「東京モーターショー」などがあります。技術企画室は社内の技術事務局を担う組織でもありました。各部署を横断するやり取りから、技術戦略における会社方針や会社製品を身近に感じてきました。

この部署は、8名の社員で構成されていましたが、私以外はベテランばかり。皆が優しく、私のことをまるで〝技術企画室の末っ子〟のように可愛がってくれました。そんな環境に、甘えていたところがあったのかも。入社9カ月目、突然の異動を言い渡された私は、動揺しました。

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思ってもいない
人事異動に戸惑い。
飛び交う言葉すら分からない

異動になった『先行開発部』は、コアな技術に携わるエンジニア部署。同部署の『第2先行開発室』は、カメラや画像処理技術開発を担っています。その中で私は、電子ミラーシステムのカメラ開発領域を担当することに。具体的な業務としては、〝カメラ画質調整技術の確立〟と〝カメラ画質の定量・定性評価方法および指標検討〟を中心とするものです。

異動後、すぐにエンジニアのサポート業務として、議事録を作成するように言われたのですが、会議に出ると目がまわりました。「飛び交う言葉が分からない」。「何について話しているのかも分からない」。エンジニアなら当然分かっている関連デバイスやシステム全体、周辺技術についての基礎知識は、私にとってあまりに複雑でした。部署を一歩でると一端のエンジニアだと思われ、「なぜ、こんなことも分からないの」と言われることも。あっという間に自信を失いました。

私の脳裏には、最終面接を終えて抱いた志がありました。「なんとか役に立ちたい」と奮い立ちました。そこで私なりに精一杯、考え出したのが、「言われたことをすぐやること」でした。つまり、命じられた作業スピードを極めることに力を注いだのです。今思うと滑稽ですが、暗室で製品を測定する時に、わずか数メートル先の電気スイッチを付けたり消したりする秒単位の寸暇を惜しむといった、時間節約術を工夫するほどでした。当時は必死にやっていましたが、仕事の本質を考えられていませんでした。

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ブラザーからの厳しい言葉に涙。
〝解(答え)〟を探すのは私

東海理化には入社後3年間程度、ブラザーという先輩の面倒見役がフォローする社内制度がありました。私が先行開発部でお世話になったブラザーは、石塚さんという当時入社5年目の先輩。私は、分からないことがあれば、なんでもかんでも石塚さんに聞き、それをすばやくこなすことで、仕事をやっている実感を得ました。「とにかく失敗せずに役に立ちたい」と、1~10まで指示を聞いて、スピード感を持って対応するだけで、その先にある目的を理解しようとしませんでした。

石塚さんは物事を多面的に捉える方で、しがらみに左右されず、本質を指摘できる尊敬する先輩です。空回りする私を2年あまり辛抱強くサポートしてくれました。しかし、ある日、石塚さんは、私に向かってはっきり言ったのです。「私がすべての〝解(答え)〟を持っていると思っていませんか?」「紆余曲折あっての開発です。私、学校の先生じゃありません」。

それは社会人になってから、一番ショックを受けた言葉でした。ハッとしました。「開発業務を担っているのに、私は自分で何一つ考え抜くことをしていない。」「私は、受け身で仕事をしているだけだ。」―そんな自分に泣きました。何度も石塚さんの言葉が反芻されました。 私の仕事とは何か…。

それから私は変わったと思います。待ちの姿勢をやめました。「私が今任されている仕事は技術開発のサポートではない、技術開発そのものだ」と実感できるようになりました。特に、今向き合っている技術開発は0を1にするもの。最終的なゴールを生み出すために〝思考を止めないこと〟こそ必要なのです。

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東海理化は、
カメラ領域で
さらなる多角化を目指す。

今、私の携わる車載の電子ミラーは、サイドミラーの代わりに後方視界を確認する重要な部品です。公道を走行する時に、起こりうるシーンを想定した評価指標を立て、ドライバーの安全確保をゆるぎないものにするため、ひとつひとつ「どう調べればいい」「どう測ればいい」を考え抜きます。要素技術および既存技術を発展させようと、チーム内で議論を重ねるのです。

開発業務の中で思い出に残っているエピソードがあります。実際の環境でのカメラ映像を取得するために、実験車に乗って公道を走行し、シーン撮りをした日のことです。継続車の動きを模擬するために、社用車と2台で並走していたのですが、その日は、あえてトランシーバーを使ってコミュニケーションをとりました。「車線変更してください」「車速をあげてください」「システムがダウンしました」とかお互いに言い合っていると、なんだかおかしくて、頬がゆるんできました。真面目に仕事をする中でも、楽しい瞬間がたくさんあります。

先行開発だったカメラ領域も、今では東海理化を代表する製品を生み出しつつあります。私たちのチームは、将来、〝東海理化がカメラを扱うメーカーとして認知される基盤づくり〟を担うことを目指しています。

東海理化はまだまだ他のカメラメーカーと比べて、社内知見が薄い部分があります。しかし、カメラや画像処理技術の技術武装を固めて、取引先やカメラメーカーとも対等に議論できるような土壌を作りたいのです。

私の夢は、東海理化の中で技術開発の初期から関わった、カメラ技術を使用した製品が、世に出てユーザーの暮らしを豊かにすることです。

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