笑顔の下の強さこそ、私の持ち味。選んだ道は、とことんやり抜きたい。

笑顔の下の強さこそ、私の持ち味。選んだ道は、とことんやり抜きたい。

このストーリーのポイント

  • 決めたことは最後までやり抜く強さを身につけた少女時代
  • 人を大切にする温かな社風に惹かれて鳥居薬品へ
  • どんなタイプの相手とも粘り強く人間関係を構築していく

朗らかなキャラクターと前向きなポジティブさで、誰からも愛される存在だが、その笑顔の下には強さとたくましさが隠されている。“MR嫌い”の医師とさえも信頼関係を構築してしまう、その魅力とは──。

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鳥居薬品株式会社

2018年入社/薬学部薬学科卒

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関西地方の山間部で育つ。一度は獣医を目指すも受験に失敗し、薬学部へ。両親とも薬剤師という家庭であったが、自身はMRを志望し、鳥居薬品に入社。現在は関西地方でMRとして活躍する。多趣味で、週末はバンド活動やコスプレイヤーとしての活動に力を入れる。お酒が大好きで、飲み会も多い。

12年間、無遅刻無欠席で鍛えた心身

標高900m。和歌山県の山間部で育ちました。小学校は3kmの山道を徒歩で、中学校では5kmの山道を自転車で通い、高校も含めて12年間一度も休みませんでした。中学卒業後は隣県の高校に進学。電車も含めて片道2時間以上の通学を続けました。完全に皆勤賞です。 おかげで今も心身ともに元気です。山の子は、強いんです。

高校で打ち込んだのは、チアリーダーです。
実は私の高校は甲子園の常連校。それでいて進学校だったので、チアリーディング部はなく、夏の期間だけ臨時にチアリーダーが活動していました。公募で集められたメンバーは、私も含めて全員がチア未経験の素人。それが夏の甲子園に間に合わせるために練習するのですから、限られた期間、本当に必死で取り組みました。
私は高1、高2と続けて甲子園で母校の応援のためにチアを披露することができました。それまでテレビで見ていた夏の甲子園球場で、今度は自分が踊っているなんて、とても不思議な感覚でした。5試合に参加できて、一生の思い出となりました。

こんなふうに1日も休まずに山道を通い、歯を食いしばってチアリーダーの練習にも打ち込んだことは、私の大きな自信になりました。間違いなく根性はついたと思います。
どんなに辛くても一度も投げ出さず、逃げ出しもしなかった。一度決めことは最後までやり抜く力を、私は身につけることができました。

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人を大切にする温かさに感動して入社

とはいえ、受験は挫折しました。最初は獣医を目指していたのですが受験に失敗。浪人することになったのです。もう一度チャレンジすれば合格できるかもしれないけれど、万一失敗したら二浪は許されません。結局、迷いに迷って獣医の道は諦め、薬学部へと切り替えたのです。
一度決めたら最後までやり抜けるのが自分なのに、夢を投げ出してしまったのは、大きな挫折でした。泣きじゃくって、立ち直るまでには時間がかかりました。
そんなわけで不本意ながら進んだ薬学部でしたが、学生生活そのものは楽しかったです。1限から6限まできっちりと授業を受け、その後は大慌てでスーツに着替えて塾の講師のアルバイトへ。そして稼いだお金はバンド活動やコスプレにつぎ込む。私は欲張りで、やりたいことは全部思い切り楽しみたいから、毎日が大忙しでした。

実は両親とも薬剤師です。ですから私も薬剤師になるのが自然かもしれませんでした。でも、毎日同じ調剤室に閉じこもる生活が自分には向いていると思えず、自分の足で行きたいところに出向いていけるMRのほうが向いていると思ったのです。そんなふうに思ったのは薬局でのインターンシップで、実際にMRの方と接したことがきっかけでした。
私のそんな思いを伝えたところ、両親は「いいやん、いろんな人に会えるし、向いてるわ」と背中を押してくれました。

鳥居薬品に決めたのは、最終面接が理由でした。
最終面接を前にした私に人事の担当者は「あなたのこういうところが強みだから」とアドバイスしてくれ、自信をもたせてくれたのです。学生に対しても1人ひとりを大切にしてくれる社風なんだと感じました。
その後、内々定をいただいたときも、他社と迷っていると伝えたら、「あなた自身の将来のことだから、大切に考えてください」という返事でした。その言葉に、なんて温かい会社なんだろうと感激し、私は入社を決めたのです。
この印象は、入社してから今も変わっていません。私の目は正しかったと、胸を張って断言できます。

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情報感度を高くして、切り込んでいく

配属されたのは関西地方、生活や土地に対する不安はありませんでした。抵抗なく社会人生活をスタートできたと思います。
チームのメンバーは12人で、その中で女性は私1人。むしろ先輩方のほうが、新人の女性である私をどう扱ったらいいか、戸惑いがあったかもしれません。私自身は、いわゆる“女の子”扱いは望んでなく、最初から1人のMRとして扱って欲しいと考えており、同期よりも早く担当エリアをもたせてくれたのは、とても嬉しかったです。
同期よりも早く担当を持つことになったため、配車が間に合わず、最初は車もなく、電車での移動でしたが、自分で計画して自分で行動することを楽しみながら、日々を過ごしました。

医薬情報担当者という名称の通り、MRは医療機関を訪問して、医師や薬剤師に医薬品の正しい情報を伝えることが仕事です。ですからとにかく面会して、話を聞いていただかなくては仕事になりません。
当たり前のことですが、医師だって人間ですし、いろんなタイプの人がいます。気難しくて、MR嫌いの医師だって珍しくありません。私が1年目に先輩から引き継いだのは、まさにそういうタイプの医師で、どうやって人間関係をつくっていこうかと模索する日々が続きました。
あるとき、その医師がお酒好きだということを耳に挟んだ私は、日本酒の利き酒師の資格を取ろうと思い立ち、勉強を始めました。そのことを医師に伝えたところ「えっ、女の子でしょ?!」と驚かれ、そしてそれを機に一気に距離を縮めることができたのです。以来その医師とはまずお酒の話で盛り上がり、それから医薬品の話を始める、という関係になれました。

決して簡単な話ではありません。医師がお酒好きだという話を耳にしてから、距離を縮めるまで、半年はかかったと思います。
大切なのは、常にアンテナを高くしておいて、その医師に関する情報をキャッチしようとすることと、情報をキャッチしたからすぐに行動に移すこと。MRには、そんな情報感度の高さが求められると思います。

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いろんなタイプのMRがいていいと思う

ネット社会の今、医薬品や疾患の最新情報も、すぐに手に入れることができます。ならばMRの存在理由とは何でしょうか。私は、医師がわざわざMRを呼んで話を聞きたがるのは、人対人のコミュニケーションを求めているからだと思うのです。デジタルの情報にはない人間くさい話や一緒に楽しめる話など、プラスアルファをMRに期待しているのではないでしょうか。
それに人間としていろんなタイプの医師がいますから、MRにもいろんなタイプの人が必要だと思います。誰もが話し上手なくてもいい。口下手なMRのほうが合う、という医師だっているんですから。どんな持ち味でも活かすことができるのが、MRという仕事だと思います。

薬学部で学んだという私のバックボーンは、MRにとって強みであることは確かです。特に医師や薬剤師の方とのコミュニケーションはスムーズで、薬局を訪問した際、大学時代に使用していた調剤機を見つけて「私も学生時代によく使いましたよ」と盛り上がることもあります。このように何気ない場面で共通の話題を持てることは、意外とアドバンテージになっています。
もちろんそれに甘えることなく、さらに勉強を重ねていくつもりです。

この仕事が好きだから、これからも私はずっと現場でMRとして活躍したいと考えています。鳥居薬品のMRは全領域の疾患を担当するのが原則で、何でもわかるMRになることが入社以来の目標です。さらに、誰にも負けない自分ならではの“強み”を身につけられたらと考えています。
私は一度始めたことは最後まで諦めたくないし、ちょっとマニア的な性質ももっているんです。だからスペシャリストとして何かを究めていくことは向いているんじゃないかなと思っています。

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