「夢中になれる」が使い手の創造性を引き出す。予定調和ではない“なにか”を設計する仕事
「夢中になれる」が使い手の創造性を引き出す
予定調和ではない“なにか”を設計する仕事
直感的な操作性を実現した配信ミキサー「新AGシリーズ」と、どこでも手軽にすぐ弾けるステージキーボード「CKシリーズ」。この二つのプロジェクトの裏側には、「自分の欲しいものをユーザー目線でつくる」という共通の開発スタイルがあった。企画者たちの想いを叶え生まれてきた製品は、使い手に夢中になれる瞬間をもたらす。そして、その先には予想外の出会いが待っているのだ。
※記事内の所属は取材当時のものです
「自分が欲しい」から始まる
「せっかく自分が関わるのだから、自分が買いたいと思える製品にしたい」。そう語るのは新AGシリーズの企画を担当する白井瑞之だ。学生時代にはアルバイトでライブハウスのミキサーを操作する日々を送っていた。だからこそ、白井には「自分が欲しいと思えるミキサーはほかのユーザーにとっても使いやすいはず」という確信があった。では、白井にとって「自分が欲しい」と思えるのはどんな製品なのだろう?
「やっぱり、きちんとユーザー目線でつくられているものですね。ミキサーに限らず世の中に存在するデバイスの中で、『これは使い手のことをよく考えてつくられている』と思えるものは、やっぱり買いたくなる。だから新AGシリーズをつくり始めた時には、徹底的に『お客さんに寄り添う製品』をつくろうと思いました」(白井)
クリエイター&コンシューマーオーディオ事業部 事業開発部 白井瑞之
CKシリーズの企画を行った山田祐嗣も、学生時代から好きだった小型シンセサイザーの魅力を思い浮かべ、「なぜこれがヤマハ製品にないのだろう?」と疑問に思ったことからアイデアが浮かんだと振り返る。この時、提案した企画が新コンセプト楽器「reface」につながり、refaceでの経験がCKシリーズで生きることになった。
電子楽器事業部 電子楽器戦略企画グループ 山田祐嗣
白井も山田も製品企画に携わると同時に、「ひとりのユーザー」であり続けている。自分ごとからアイデアを考え、「自分が欲しい」ものを求めて製品づくりを進めている。だからこそ、AGとCKはユーザー目線で使いやすいことを最優先した製品として結実した。
多様化する表現をサポートする
そんな二人は常に未来のユーザーが何を求めるか予測している。そのためには徹底的なユーザー観察が必要で、彼ら・彼女らがまだ気づいていないけれど、実は求めている“なにか”を突き止めねばならない。
例えばCKシリーズでは、「どんな場所でも『いつもの音』で弾けるステージキーボード」を実現するために筐体に小さなスピーカーを実装したが、これは「スピーカーを付けてほしい」という要望を受け取ったからではない。むしろ、「スマートなデザイン、そして可搬性が絶対的に求められるステージキーボードにおいて、スピーカーを付ける、という発想は普通はありえない」(山田)という。しかし、実際にキーボーディストたちに困りごとを聞く中で、「すぐに音が出せない」という共通の課題を知った。それを解決するためにスピーカーを付けるというアイデアが生まれたのだ。
白井も開発過程で多くのユーザーにヒアリングしたが、ユーザーは必ずしも自らの課題を言語化できているわけではなかった。そこで、「観察」が必要になる。「知らず知らずのうちにユーザーが苦労しているところを引き取っていくというんでしょうか。『こういう機能は欲しいですか?』と聞けば、だいたい『欲しい』と言われてしまうので、ユーザーの潜在ニーズに何がフィットするのか、ものづくりの専門家として判断しなければいけないのです」(白井)。
いまの二人にとって楽しくもあり難しくもあるのは、楽器の使い方・楽しみ方がどんどん多様化していくことだ。例えば、キーボードはもはやキーボーディストだけが使うものではなく、ギタリストが弾くこともある。ライブ配信についていえば、歌唱や楽器演奏はもちろん、ゲーム実況、ASMR(聴覚などへの刺激)など、さまざまな分野で一般の人たちが日々あらゆるコンテンツをアップする時代になっている。
このように自己表現の幅がますます広がっていく中、キーボードもミキサーも、自由度の高い使い方ができる製品を提供したいと二人は語る。
予想外の体験で驚かせたい
直感的に操作できることに加え、AGとCKに共通する魅力は「予定調和ではない“なにか”」との出会いをもたらしてくれることだ。
ライブ配信の面白さのひとつは、「常に予定調和ではないコミュニケーションが生まれるところ」と白井は言う。趣味で配信を続けているうちに人気が出て、キャリアが変わった人もいる。CKについていえば、ストレスなく瞬時に、即興的に音楽を奏でられるからこそ、時に自分でも予期していなかったアウトプットが生まれる。
この二人には、普段から「予想外」のものを楽しむ癖があるようだ。「ミキサーが好き」という気持ちがきっかけでヤマハに入社した白井は、入社後に商品企画という仕事があることを知った。当初はまったく考えていなかった海外市場に向けた業務も経験した。「いま考えると、そもそも考えが足りなかったんでしょう」と本人は笑うが、彼の歩みからはどんなチャレンジにも飛び込んで楽しんでしまう好奇心の強さが見て取れる。
一方の山田は、趣味である旅を通して、日々自分の知らない景色との出会いを楽しんでいる。「47都道府県すべて訪ねましたが、それでも物足りなくて。いまも行ったことのない街の未知の景色を探求しています」(山田)。こうして日々「予想外のものとの出会い」を楽しんでいるからこそ、自分のつくった製品を通して、使い手に未知なる出会いの素晴らしさを味わってほしいと願っている。
「例えば、通常のステージキーボードと同じようにスピーカーが付いてないと思ってCKに触れたユーザーの『えっ?』と驚く顔は、いまでも印象的です。これって、ユーザーの期待値を超えた時にだけ生まれる“ポジティブな裏切り”ですよね。こういう反応に出会えた時にアイデアの仮説が確信に変わります。予想外の体験を生み出すことを、これからも大切にしていきたいですね」(山田)
そう、予定調和の世界だけで生きていくのはつまらない。予想もしなかった“なにか”と出会うことや、自分でも気づいていなかった自分の新たな一面を知ることの、なんと素晴らしいことか。だから、AGもCKも人々に驚きをもたらすポジティブな裏切り者でありたいと思う。予想外を楽しむ白井と山田の想いが人々の“夢中になれる”瞬間を紡ぎ出す。そして、夢中の人たちが発揮する創造性が次なる誰かの創造性を刺激して――まるで音楽のように、想いが響きあう世界が広がっていくのである。
(取材:2023年9月)