個性や強みが違うのだから、営業スタイルも一人ひとり、違っていい。
個性や強みが違うのだから、
営業スタイルも一人ひとり、違っていい。
このストーリーのポイント
- 教員志望から一転して入社。まさに就職は“縁”
- 子会社に出向し、大阪エリアで業績を伸ばす
- 自分の強みを活かしてニーズを発掘し、商機につなげる
入社して、がむしゃらに営業に取り組む中で身につけたのが、自分の持ち味を活かした営業スタイル。それによって会社の売上を大きく伸ばすことに貢献できた。営業に決まった型はなく、誰にとっても自分の強みを活かすことが大切だと語る。
株式会社阪神メタリックス
神谷 俊毅
川上ハガネ株式会社(出向)

経営学部経営学科卒。2012年入社。入社後、阪神メタリックス株式会社京都支店を経て、2015年にグループ会社の川上ハガネ株式会社に出向。以来、同社にて営業に従事。大幅な売上拡大に貢献する。
「会社は夢をかなえる舞台」という言葉に惹かれて
学生時代にもっとも打ち込んだのは、自身で設立し、4年間キャプテンを務めたフットサルのサークルです。思い出に残っているのは、2回生の夏合宿です。約20人の部員がサプライズで、私への感謝のメッセージを書き込んだ寄せ書きをプレゼントしてくれたのです。仲間たちの熱い想いに触れ、思わず涙を流してしまいました。リーダーとして組織をまとめる喜びを知った原点です。
母が書道の先生をしていたこともあって、私も漠然と教師の道を目指していました。大好きな地理と歴史を高校生たちに教え、部活では得意なサッカーを指導する。そんな日々を夢見ていたのです。
ところがそんな甘い夢も、現実の前ではあっさり破れてしまいました。志望していた地理と歴史の高校教師の採用枠がゼロだったのです。あまりの衝撃に言葉を失いました。
とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかず、将来の道を見つけなくてはなりません。周囲からかなり出遅れましたが、民間企業への就職活動を始めました。
私は就職氷河期世代ですので、簡単ではありませんでした。人と話すのは好きだったので営業職志望とだけ決めて、様々な業界の企業と接触しました。その中の1社が阪神メタリックスでした。
もちろんまったく知らない会社でしたが、何よりも現在の社長の人柄に強烈なインパクトを受けました。その人間力に、一瞬で心を奪われたのです。面接で生意気にも将来は社長になりたい」と夢をぶつけたところ、「会社は夢を実現する舞台なんだ」と真正面から受け止めていただき、入社を決めました。
もし卒業する年が少しでもずれていて教員の採用枠があったなら、きっと私の人生は大きく変わっていたことでしょう。それを思うと、職業選びとは本当に縁だと感じます。

背伸びをさせて成長を促す社風
入社して配属されたのは京都支店でした。
高校時代に漫才大会、要するにM-1のようなイベントを企画するなど、人とコミュニケーションして何かを成し遂げることが好きでしたから、営業の仕事そのものにはすんなりとなじめました。とはいえ商材である特殊鋼の知識はまったくなかったので、先輩が開いてくれた勉強会などで知識をつけていきました。特殊鋼販売技士という資格を取得するための勉強も役に立ちました。ちなみにこの資格は民間団体のもので、必須ではありませんが、業界では多くの人が取得しています。私も京都支店時代に3級を取得し、現在は1級を持っています。
当時の京都支店は私を含めて営業が4人という陣容でした。その中で私は急きょ異動することになった先輩のお客様をすべて引き継ぐことになりました。任されたからには会社の代表として責任を持ってお客様をフォローしなくてはなりません。新人だからといって、お客様には関係のないことですから。
1年目の新人にとっては、なかなかの無茶振りです。もっとも、背伸びをさせることで成長させようとするのは、阪神メタリックスならではの育成方法といえます。私はとにかく無我夢中で仕事に取り組みました。
2年目にはもう1人の先輩と私の同期社員も異動になり、支店長と私の2人だけで営業を担当することになってしまいました。エリアで言うと、大阪、京都、奈良、滋賀です。この4府県を支店長と私の2人だけでフォローしなくてはならないわけですから、1年目に拍車をかけた忙しさでした。
今ではあまりよく覚えていないのですが、とにかくお客様に迷惑だけはかけてはいけないという気持ちで、支店長、事務担当社員と連携しながら仕事に取り組んだ記憶があります。がむしゃらに過ごした毎日で、今振り返っても、よく乗りきったなあと自分で自分に感心します。

お客様のピンチは、営業にとってのチャンス
入社4年目、2015年に川上ハガネ株式会社に出向することになりました。川上ハガネは約80年の歴史を持つ特殊鋼の販売、加工を手がける老舗企業で、2012年に阪神メタリックスがM&A(企業の吸収合併)によって子会社化しました。グループの中では、大阪支店としての位置付けとなり、大阪エリアの営業に専念する社員として私が出向したわけです。ですから社名こそ違いますが阪神メタリックスの一員としての意識に変わりはなく、給与体系や福利厚生などにも違いはありませんでした。拠点が大阪エリアになったことで、より効率的な営業活動も可能になりました。
川上ハガネは東大阪市を拠点としており、実は私の出身も東大阪市。要は地元で営業に取り組むことになり、モチベーションも一段と上がりました。地元を盛り上げるために抜擢されたという感覚でした。
以来、ずっと川上ハガネで営業を担当しています。すでに阪神メタリックスに所属していたよりも、川上ハガネ時代のほうが長くなりました。
商社と聞くと、商材を仕入れて販売する、いわゆるシンプルなトレードビジネスをイメージされる方が多いかもしれません。しかし当社のビジネスにおいては、どの素材を選び、どう加工し、どんな形でお客様へ届けるか。そのすべてを営業一人ひとりの感性と戦略に委ねられています。「お客様のコストを半分にできる」 「このスピードで届けられれば、お客様のプロジェクトを救える」素材に「知恵」という付加価値を乗せ、ただの素材を「高付加価値な商品」へと昇華させる。 そこが、私たちの「腕の見せどころ」であり、商社でありながら「ものづくり」の核心に触れる営業としての醍醐味でもあります。
私たちの仕事は、注文を待つことではありません。 お客様がまだ気づいていない課題を、誰よりも早く察知し、先回りして解決策を提示すること。
「川上ハガネさんなら、なんとかしてくれる」という信頼に応え、お客様のスピードと競争力を支えるパートナーであり続けること。もちろん競合も情報収集には力を入れていますから、いかに先手を打ってニーズの掘り起こしができるかが勝負となります。そのために私は日々お客様のもとに足を運び、キーパーソンとの人間関係を築いていち早く情報収集ができる環境をつくっていきます。
基本となるのは、やはり日頃のコミュニケーションですね。誰とでも気軽にコミュニケーションできるという私の持ち味を活かすことでお客様の中に入り込み、情報をつかみます。特にお客様が課題を抱えて困っているときは大きなチャンス。レスポンス早く課題解決に協力することで、信頼関係を深めていきます。困りごとが多いのは特に納期関連で、時にはお客様ご自身での加工に失敗してしまい、取引先への納期が迫っているという深刻なケースもあります。まさに緊急事態で、深夜にもかかわらず鋼材をお届けしてお客様のピンチを救ったこともありました。
結果としてお客様には感謝され、我々も大きな取引につなげられ、まさにWin・Winの関係を築くことができました。

完璧に公平な評価制度のもとで
私は誰とでもコミュニケーションできるという持ち味を活かした営業を行っていますが、阪神メタリックスグループの営業には“こうでなければならない”という型は決まっていません。それぞれの持ち味や強みを活かして、自分ならではのスタイルを築き上げればいいのです。“営業=話し上手”というイメージは当社には当てはまらず、口下手な営業もいるし、鋼材に関してなら誰よりも詳しい“鋼材博士”のような人材もいます。あるいはお客様とはまったく仕事の話をせず、世間話に終始しているというのに、なぜかいつも大きな商談をまとめてくる営業もいます。
要は人それぞれ。皆さんも当社に入社したら、ご自分の得意な営業スタイルを模索し、築いてください。また、当社は公平な評価制度も設けられており、いわゆる“上司ガチャ”のような属人的な評価はあり得ません。この仕組みをつくったのは社長で、仕組み自体、より公平な評価が下せることをめざしてアップデートされています。その評価が給与や昇進に反映されますから、モチベーション高く、働くことができます。
私が川上ハガネに参画して以来、売上高は約3倍という成長を遂げることができました。これまでの地域戦略で培ったノウハウを、次はより広範囲のマネジメントに活かしたいと考えています。
そして入社前に社長に宣言した“社長になりたい”という夢を、いつか実現するつもりです。

