“船の心臓部”のプロフェッショナルとして一筋。技術を極めたいというエンジニア魂は変わらない。

“船の心臓部”のプロフェッショナルとして一筋。技術を極めたいというエンジニア魂は変わらない。

“船の心臓部”のプロフェッショナルとして一筋。
技術を極めたいというエンジニア魂は変わらない。

このストーリーのポイント

  • 海が好きだからという理由で造船業界を志望
  • 機関室を支える機電装の技術者としてキャリアを重ねる
  • 学生時代の専攻は関係なく、誰でも挑戦できることが魅力

入社以来、機電装チーム一筋で、“船の心臓部”を支える。若手のうちから責任ある仕事に取り組める環境が、技術者としての成長を後押ししてくれた。そうした経験を踏まえ、若手の育成にも力を入れていく。

PROFILE
多度津造船株式会社

小林 智史

工作グループ 機電装チーム
2007年4月1日入社

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広島県出身。新卒で多度津造船株式会社の前身である常石造船株式会社に入社する。以来、現在に至るまで一貫して機電装チームに所属し、船の心臓部である機関室周りの製造を担当する。現在は香川県在住。

若手が活躍する環境に惹かれて

学生時代は環境情報学科という、ユニークな学科で学んでいました。ここは全国の大学の中でも数少ない、人工衛星の画像を受信できる学科です。自然災害が発生すると人工衛星の画像を見て被災地域を特定したり、ハザードマップの作成に役立てたりといったことに取り組みました。

そんな研究に打ち込んでいた私がなぜ造船業界を志望したかというと、シンプルに海が好きだったからです。釣りも好きでしたし、海を見ているだけでも癒やされる感じがありました。そこで何らかの形で海に関わる仕事ができたらと考え、造船業界を志望しました。広島に住んでいましたので造船業や海運業は盛んでしたが、特に船そのものに思い入れがあったわけではなくて、大好きな海に関われたらいいという思いだけでした。

造船は歴史ある業界ですから、社員の年齢層もかなり高いというイメージを持っていました。その中で多度津造船の前身である常石造船に入社したのは、若手が伸び伸びと活躍しているという印象を受けたからです。1年目、2年目の社員も臆することなく自分の意見を口にして、主体的に仕事に取り組んでいると感じました。
現在では団塊の世代がリタイヤしましたから、造船業界全体で若返りが進んでいます。当社でもメインで活躍しているのは20~30代の社員。若いときから責任ある仕事にチャレンジしたいという方には、造船業界はぜひお勧めです。

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ニュートラルに、ゼロから知識を吸収

入社以来現在に至るまで、私は機電装チーム一筋で仕事をしてきました。
仕事場は、船の心臓部である機関室内。電気を供給するための発電機やボイラー、主機(エンジン)などの積込や据え付け、試運転等を行うことがミッションです。つまり船が正しく動くために不可欠の機器類を預かり、調整していく仕事となります。さらにプロペラや舵などの据え付け工事も機電装チームで行っています。
非常に高い専門性を求められる仕事で、マニアックな仕事だと私は思っています。長い時間をかけて知識を身につけていく必要があり、そのためこの仕事一筋という、いわば“職人”的なエンジニアが多いのも機電装チームの特徴です。

マニアックな仕事と言いましたが、実は新卒で機電装チームに配属されたとき、私は何も知識を持っていませんでした。機械や電気とは無縁の学科で学んだので、それも当然のこと。レンチやモンキースパナといった、常識的な工具の名前すら知りませんでした。
そのため配属後は基礎の基礎を学ぶところからスタート。聞いたことのない言葉が飛び交う職場でしたので、上司の「とにかくメモを取りなさい」というアドバイスに従ってひたすらメモを取り、後でネットで調べたり、先輩に教わったりしました。忙しい職場でもあったため、自ら学び取ろうという姿勢で、現場の作業員の方々にも私のほうから積極的に声をかけ、教えていただきました。
なぜ私が機電装チームに配属されたのかというと、白紙の状態だったからではないかと思っています。機械や電気の知識がなく、造船についてニュートラルだったため、知識の吸収もスムーズだったのでしょう。私のそんな経験から、造船の仕事をする上で学生時代の専攻にはあまり関係ないと感じます。

思い出深いのは2年目に担当した仕事です。マレーシアの国営プロジェクトの一貫としてつくることになったタンカーを担当させてもらいました。
当時の私は知識も経験もまったく足りなくて、ベテランの作業員さんや上司に教わりながら目の前の仕事にがむしゃらに取り組みました。そのため仕事の力が自分でもはっきりとわかるぐらい飛躍的に伸びていったのです。また建造監督がマレーシアから派遣された方で、英語を使っての説明が求められました。英語が苦手なんて言っていられませんから必死で勉強せざるを得ず、英語力も向上していきました。周囲の先輩もそんな私の成長を後押ししようと、力強く支えてくれました。
こうして背伸びしながら挑戦するチャンスをいただいたことは、エンジニアとしてのキャリアにおいて非常に価値ある経験だったことは間違いありません。

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機関長の握手は、技術への信頼の証し

2年目に担当したタンカーは、今もまだ現役で世界の海を走っています。サイトでその位置を確認することもあり、自分が苦労して生み出した船が今も頑張っていると思うと、造船エンジニアならではのロマンを感じます。現在私は機電装を担当して16年目ですが、この喜びは今も変わりません。
主機は10メートル以上もあるし、プロペラも数メートルにも達します。これらの大きな機器を、工具を使って一つひとつ自分の手で据え付けていき、それによって巨大な船が命を吹き込まれて動き出していく。これこそが機電装としての醍醐味です。

据え付けが終わると、船員の方々と一緒に乗り込んで、試運転を行います。その結果をもとに細かな調整を行い、最終点検を経て、オーナー様に引き渡すことになります。
船が海へ出て行くときには引渡し命名式が行われますが、私たちは機関室の中にこもっているのでセレモニーの様子を見ることはできません。そして走り出して問題のないことが確認できたらあとは大丈夫ということで、船を下ります。
その際は必ず機関長から「Thank you!」という言葉とともに握手を求められます。それに応えて私も「後は託した」という思いで、手を握り返します。
どんなにトラブル続きで苦労した船であっても、最後はお互いに相手へのリスペクトと感謝を伝え合う、そんな関係が私は大好きです。実際に船を動かす機関長や乗組員のために全力を尽くしたという達成感が、次の仕事へ向かうエネルギーとなります。

造船の仕事は非常に長い時間をかけて行われますが、ので、工程スケジュールもきちんと決められたものになっています。もちろんアクシデントの際は緊急に対処しなければならないこともありますが、基本的には時間に追われるようなことはなく、落ち着いて取り組めています。
職場の雰囲気も穏やかで、先輩後輩の垣根なく何でも話せる空気です。その中で若手に責任ある仕事をどんどん任せ、ベテランの先輩が背中を支えてくれるという感じですね。とてもいい環境の中で仕事ができています。

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文系にも活躍の門戸は開かれている

冒頭でも触れたように、造船は古い業界というイメージをもたれがちですが、実は先進的な側面を持っています。日々の仕事の中でも常に改善に取り組んでおり、若手の自由な提案も採用されやすいと思います。創意工夫が活きる環境なのは間違いありません。
現在多度津造船では、自動車運搬船(PCC)においてLNG(液化天然ガス)焚き自動車運搬船の連続建造を進めています。日本では当社が先駆けとして取り組んでおり、こうした先進性も当社の大きな魅力です。

機電装の仕事は奥が深く、相応の経験を積んだ私でも時には失敗するし、知識不足を痛感することもあります。ですから若手に対しても決して成長を急がせるようなことはしません。日々の業務のスケジュールを組みながら、今日はこの工程、明日はあの工程と、先輩社員がきめ細かく指導するようにしています。少しずつでいいので、着実に成長してもらえればと思っています。
造船に関する知識は入社してから学ぼうという姿勢で十分です。先ほども触れたように学生時代の専攻はあまり関係ありません。もちろん機械や電気といった専門性があることは素晴らしいですが、必須ではないのです。私個人としては文系出身の方でも十分活躍できると考えています。この間口の広さは、学生の皆さんにぜひお伝えしたいですね。

入社以来機電装チームで16年のキャリアを積んできました。けれど決してベテランとは思っていませんし、まだまだ勉強しなければならないと考えています。先輩から受け継ぐべきこともたくさんあります。
今後もおそらく機電装チームでキャリアを重ねていくことになるでしょう。将来的には機関室の中だけでなく、船全体に取り付けるあらゆる機器について精通したエンジニアを目指したいと思います。何よりも船を引き渡した後、機関長や船員の方から「次も多度津造船でつくってほしい」と言っていただけるような、そんな存在になることが目標です。

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