自分らしく突っ走れ。壁を越えるたび、強くなれるから。
自分らしく突っ走れ。
壁を越えるたび、強くなれるから。
このストーリーのポイント
- 負けず嫌い+コミュニケーション力を強みに
- 年下の上司についたことで、さらなる成長へ
- 所長として、人を育てることに喜びを感じる
実力主義の日本テクノ。成長意欲の高い人材は、年次に関係なくステップアップできる。視線は常に前へ。自分のキャリアを拓くのは自分だ。
日本テクノ株式会社
小島 祥平
営業部 大阪支店
大阪第六営業所 所長

リベラルアーツ学部リベラルアーツ学科卒業。2014年入社。新卒入社後、一貫して営業の最前線で活躍。負けず嫌いで、誰とでも気後れせずにコミュニケーションできることが持ち味。2025年1月に所長に昇格。
「人」の魅力に惹かれて
小学生で始めたバスケットボールを高校の部活まで続けました。大学ではサークルでしたが、やはりバスケを楽しみました。一緒に汗を流した仲間たちは、今も宝物です。
思い出すのは高校1年の出来事です。入学して間もない私がレギュラーに抜擢されたことで、私を快く思わない空気が部内に漂ったことがありました。私は、文句があるなら実力で勝負してやると考え、先輩方と1対1でプレーして勝利。自分の力を証明できました。
負けず嫌いは私の強みの一つです。
就職活動では業界を絞らず、営業職を目指しました。営業は実力の世界。負けず嫌いの私に向いていると思ったのです。
また、誰とでも臆することなく接することのできるコミュニケーション力も私の強みです。
これは学生時代を通じた接客業のアルバイトで身につけました。
もう1点、勤務先は大阪がいいと考えていました。というのも、社会人としての新しい生活は、生まれ育った土地でスタートするのがいいと思ったからです。こうした軸で企業選びを続けたところ、見つけたのが日本テクノでした。
それまで日本テクノという会社は知りませんでした。ホームページなどで企業研究をしたところ、お客さまに省エネを提案するという業務に惹かれました。単にハードを売って終わりではなく、お客さまに最適化された提案によってビジネスに結びつけていくところに面白みを感じたのです。省エネの提案ですからお客さまにとってもプラスとなるWin・Winのビジネスには、大きなやりがいがあると思いました。
最終的な決め手は「人」です。採用担当の責任者の方がとても魅力的で、“この人のようになりたい”“この人と働きたい”と強く思いました。憧れと言ってもいいでしょう。こうした出会いがあることは、幸せなことだったと振り返っています。
勤務地については希望通り大阪支店に決まりました。本社は東京ですが全国に多くの拠点があるだけに、勤務地の幅広い選択肢があるのも魅力の一つです。

決して投げ出さない
新人営業としてスタートして、最初の契約のことは今でもはっきり覚えています。5ヵ月目のことでした。契約の取れたその日は、たまたま私の誕生日。お客さまは笑顔で「それはよかったね」と言ってくれ、職場に戻ったら先輩たちがみんな「おめでとう」と祝ってくれました。上司のサポートのおかげで取れた契約でしたが、とても嬉しかったです。
営業の仕事とは、法人のお客さまを訪問して電気に関するお困りごとを伺い、当社開発の商品による省エネプランを提案することです。お客さまの業種は様々。例えば工場ならどんな製造機械があって何時間稼働しているか、老人ホームなら何部屋あってエアコンが何台設置されているかといったことを調べ、どのような省エネが可能か、お客さまに提案します。
大切なのは、きちんとロジックを立てて説明する力。いかに説得力のある提案ができるかがポイントです。私の場合は持ち味であるコミュニケーション力によって相手の懐に飛び込んでいき、そうした提案を行いました。
営業の方法としては、新規開拓のための飛び込み訪問と、既存客からの紹介の2パターンがあります。
印象的だったのは、先輩から引き継いだお客さまのケースです。このお客さまは自社で既に徹底した省エネ対策を行っており、先輩からは「これ以上は無理だと思う」と添えられて引き継ぎました。訪問してみたら確かにその通りで、お客さま自身も「省エネはもう限界」とのことでした。
そうなると燃えてくるのが、負けず嫌いの私です。自分の知識や経験をフル稼働させて、そこからさらに15%も引き下げる方法を見つけ出し、提案しました。もちろんお客さまは大変に驚き、喜んで契約してくださいました。
前任の先輩も「まさかあのお客さまが!」と仰天していました。
このお客さまもそうですが、いくら提案してもなかなか首をタテに振っていただけないケースは珍しくありません。あるお客さまもそうでした。
最初に訪問してから3年がかりで契約に至ったお客さまで、その間は思ったように成果を挙げられず、苦しかったです。足を運ぶたびに断られ、また訪ねていくことの繰り返し。提案そのものは毎回同じですのでお客さまは「また来たのか」と呆れていましたが、私は諦めずに根気強く通いました。途中からは提案しに行くというより、お客さまとの会話を楽しみにいく感覚もありました。
そうした日々が続いたある日、お客さまは「他社の営業は諦めて来なくなったのに、君だけがずっと来てくれた」と、契約してくださったのです。とても嬉しい一言でした。 先輩方の「いくら訪問しても無理だよ」という言葉は耳にしていたものの、私は絶対にイエスと言わせてみせると決めて通い続けたのです。粘り勝ちでした。

年下の上司のもとで
入社11年目、2025年の1月に所長に昇格しました。それまでで一番の転機となったのが、その前年の2024年の1年間です。このとき私は大阪第四営業所で副所長を務めていましたが、上司にあたる所長は私の1年後輩の社員だったのです。
後輩が上司ということで、正直、プライドが傷ついたことは確かです。しかし彼は誰もが認める素晴らしい人材で、私もリスペクトしていました。実力さえあれば年次や年齢に関係なく昇格できるのは、日本テクノの素晴らしい点です。
この後輩は絶対にブレないという強みを持っていました。営業についても強い自信を持っており、迷うことなく自分のスタイルを貫いています。私は彼の下で働くことによって芯の強さに間近で触れ、吸収することができました。
あとになって聞いたところでは、彼は私のことを所長に引き上げたいと思って、自分の部下として呼んでくれたそうです。熱い人間なんです。その想いに応えて翌年には私も所長に昇格できました。決まったときは本当に嬉しくて、彼と抱き合って喜びました。
大阪第六営業所は、私が昇格した際に新しくできた営業所です。とても嬉しいことで、モチベーションは一気に上がりました。
メンバーは私を含めて5人。私が営業所としての営業戦略を考え、部下たちとともに市場を開拓しています。新しい営業所ですので、自分たちで1歩1歩、道を切り拓いている実感があります。
現状維持は衰退の始まりというのが所長としての私の考えで、日々、新たなテーマを持って市場に挑んでいます。
所長は営業所のすべての責任を負います。
副所長時代に所長から言われていたのが「自分が所長になったときのことを考えて業務に取り組んでほしい」ということでした。実際に所長になってみて、業務の幅広さには改めて驚いています。例えば契約書のチェックも所長の大切な仕事で、担当者なら自分の契約書に集中すればいいですが、所長はすべての契約書に対して目を配らなくてはなりません。戸惑うこともありますが、副所長時代に所長のつもりで過ごしたおかげで自信を持って取り組むことができています。
このように人を育てる風土が現場にもしっかり根づいているのが、当社。出る杭ほど、高く伸びていくことは間違いありません。

部下の成長が最高の喜び
現在私が力を入れているのは、部下の育成です。
私のように負けず嫌いなタイプばかりではなく、メンバーの性格は様々です。
ある部下は営業成績が不安定なことに悩んでおり「このままじゃダメだと思うんです」と、自分でも何とかしたいと悩んでいました。彼は飛び込み訪問による新規開拓が得意で、実際に成果も挙げていました。しかし現状に満足していては、成長することはできません。
そこで私は飛び込み訪問だけでなく、既存のお客様からの紹介にも力を入れるように指導しました。その成果は目覚ましく、彼の成績はさらに伸びていき、大きな実績を出せるようになりました。他の営業所の所長も「どうやって指導したの」と目を丸くするほどの活躍ぶりです。
このように部下が成長する姿を目の当たりにするのは、現場を預かるものとしての一番の醍醐味です。実はこの彼は、私より年上のベテラン社員。年下の上司である私の言葉に素直に耳を傾けてくれる姿に、私は副所長時代の自分の姿を重ねました。
同期入社の仲間は全国に散らばり、各地の営業所で活躍しています。彼らの存在は大きな励みですし、絶対に負けられないという気持ちになります。当面の目標は、全国トップの営業所になること。その結果が会社の成長に結びつけば、こんなに嬉しいことはありません。
そしていずれは、支店長のポジションを目指します。年齢に関係なくチャンスをもらえるのが当社。ぜひこの目標もかなえたいと思います。
日本テクノは、成長したいというパッションをお持ちの方にはぜひお勧めしたい会社です。
繰り返しお伝えしているように、年功序列は一切ありません。実績が公平に評価される会社ですので、頑張れば頑張った分だけ、自分に跳ね返ってきます。それは大きなやりがいとなるでしょう。
どんなことにも前向きで取り組める、熱い方なら絶対に大丈夫。皆さんのチャレンジをお待ちしています。

