無限の可能性に、ワクワクできる。「日鉄エンジニアリング」の大きなフィールド。

無限の可能性に、ワクワクできる。「日鉄エンジニアリング」の大きなフィールド。

無限の可能性に、ワクワクできる。
「日鉄エンジニアリング」の大きなフィールド。

このストーリーのポイント

  • 何でもできそうな無限の可能性を感じて、エンジニアリング業界へ
  • 営業の前線でプロジェクトを推進し、地域のための施設を実現する
  • “法律”という武器を身につけるために、新たなチャレンジ

一品一葉のものづくりができることに惹かれてエンジニアリング業界へ。当時は唯一の存在だった女性の営業として、道を開いてきた。今は子育てをしながら法律に携わり、新たなチャレンジに向けて準備を進めている。

PROFILE
日鉄エンジニアリング株式会社

H.K.

法務部 法務第二室
2013年入社

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外国語学部ロシア語学科卒。廃棄物プラント営業を担当した後、2018年に法務部へ異動。2022年に出産。産休育休を取得後、法務部に復職し、子育てしながら仕事を続ける。

挑戦しながら成長できる環境を求めて

日本にとって“遠い隣国”と言われ続けてきたロシア。文学や音楽への興味をきっかけに、私の関心は国そのものへと広がっていき、大学ではロシア語を専攻。1年間の留学も経験しました。政治によって国民の生活が左右されてしまう現実を目の当たりにしたことは、自由な働き方のできる日本の民間企業を志望することにつながったかもしれません。

就職活動では特に業界は絞らず、様々な業界の様々な企業に足を運びました。面談等を通じてシンパシーの感じられる企業を見つけたいと思ったのです。そんな中でエンジニア業界に関心を抱いたのは、大手電機メーカーのエンジニアだった祖父の影響でした。技術や科学といったものに憧れがあったのです。
詳しく調べてみると、メーカーとは違って一品一葉のものづくりをするのがエンジニアリング会社で、活躍の舞台も世界に広がっていることがわかりました。いろんな商品があり、いろんな技術を使って、いろんな場所で働ける。そんな何でもできちゃいそうなワクワク感に惹かれ、無限の可能性を持つ業界だと感じました。

会社では約40年という長い時間を過ごします。その間様々な挑戦をしながら成長できる環境であることを大切にしたいと思いました。もちろん途中で壁にぶつかることもあれば、投げ出したくなることもあるでしょう。
面接等を通じて日鉄エンジニアリングは就活生1人ひとりに対してとても親身に接してくれる企業だと感じました。この会社なら将来私がくじけそうになったとしても、きっと誰かが相談に乗ってくれ、支えてくれるに違いないと思ったことが、入社の決め手になりました。

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自分の残した足跡に涙を流す

最初に配属されたのは、環境・エネルギーセクターの廃棄物発電プラント営業です。営業に挑戦したかったので、期待通りの配属でした。もっとも当時、周囲に文系の女性の営業はゼロ。 新人として初の女性営業でした。私には特に気負いめいたようなものもなければ不安もなく、何とかなる。という気持ちでした。
かつては、エンジニアリング業界では女性営業が 非常に少なかったですが、現在ではずいぶんと増えました。発想の多様性という点でも、素晴らしいことだと思います。

営業時代で印象に残っているのは、3年目に担当した資源循環型廃棄物処理施設のプロジェクトです。公共事業ですので入札が行われたのですが、そこに向けて私は営業として様々な調整に奔走しました。資金調達のためのプロジェクトファイナンスの組成、各種契約書のチェック、小学生のための見学コースの提案など、担当した業務は幅広く、最終的に提出した書類は分厚いキングファイル何冊分にもなったほどです。社内外の様々な立場の人を巻き込みながら自分が中心的な立場でプロジェクトを推進していく、そんな醍醐味はエンジニアリング業界の営業ならではです。

このプロジェクトは見事落札。私はこのプロジェクトの建設中のタイミングで法務部に異動し、後のことは残ったメンバーに託しました。この廃棄物処理施設は無事に竣工を迎えました。
法務部に異動後、愛知県内にあるその施設をこの目で確かめるために、個人的な時間を使って訪ねていきました。駅からタクシーに乗らず、川沿いの道をゆっくりと歩いていくと、遠くに煙突が見え、やがて施設の全景が圧倒的な存在感を放って私の前に現れました。その瞬間、私の目からはホロホロと涙があふれたのです。
入札までがむしゃらに走り回った日々、そして一緒に汗を流してくれた社内外の仲間たち。そんなことが思い出され、チーム一体となって勝ち取って実現させた施設だと思うと、泣けて仕方なかった。タクシーじゃなくて本当によかったです。
この施設は地域の防災拠点としての役割も担いつつ、20年以上にわたって稼働し続ける予定です。こんなふうにカタチに残る仕事に携われたことに、エンジニアリングという仕事の喜びを噛みしめました。

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法律とビジネスの橋渡し役として

法務部に異動したのは入社6年目のことでした。自ら希望してのことです。
それまでの5年間でいくつかの案件に入札し、落札もできました。そんな日々の中で感じるようになったのが、自分ならではの武器を身につけたいという思いでした。特に契約書の作成やチェックに際して痛感したのが、法的なリスクに備えることの重要性です。そのために私は法律の知識を身につけたいと思うようになり、法務部への異動を希望したのです。
学生時代にロシアに留学したことはお話ししましたが、弓道にも打ち込んでいた私は、現地でロシア人に弓道を教えるという経験をしました。自分に弓道という強みがあるから、異国の地でもこうして人に教えることができる。そんな経験を思い出し、ビジネスの世界でも法律という新たな知見を得たいと考えました。
当社には年に2回、上司に自分のキャリアについて相談できる機会があるのですが、その場を利用して私は自分の思いを伝え、法務部への異動をかなえました。

プロジェクトを推進していく上で、トラブルが起きた際に最も重要なのが、契約書です。 解決のためには法律や契約書を盾に闘わなくてはなりません。
その一方、決して相手を打ち負かすことが目的ではなく、むしろお互いに納得のできる落とし所を探り出すことも重要です。それがビジネスの現場における法律というものでしょう。純粋な法律論だけでは誰も前に進めなくなることもあります。
営業として現場を経験してきた私が法律の知識を身につければ、そうした現実的なアドバイスをしたり、調整を行ったりできるでしょう。法律事務所の先生方と連携しつつ、私はそんな視点で法律を学んでいるところです。

現在1歳の娘がいます。出産休暇取得に際して職場のみんなは、当たり前のように「待ってるからね」と笑顔で送り出してくれました。当社では出産後の復職率はほぼ100%なので、戻ってくるのが当然のことと誰もが思っているのです。出産後の育児休業は最大で子どもが2歳になるまで取得可能ですが、私は10ヵ月で復職を決めました。グループ会社に勤務する夫も5ヵ月の育児休業を取得し、全面的に子育てに協力してくれました。
このように福利厚生制度とワークライフバランスの充実に力を入れているのが当社の大きな魅力です。社員の声をすくい上げ、各種施策に反映していく風土が根づいているためでしょう。
もちろん在宅勤務制度もあり、私は利用していないですが短時間勤務制度も整っています。上司も進んで在宅勤務をして、リモートミーティングも自然に行われていますから、取得しづらいという雰囲気はまったくありません。
おかげで社員がそれぞれのライフステージに合わせて柔軟に働けるようになっています。

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経営企画の仕事にも挑戦したい

法務部で経験を積んだら、いずれは営業の最前線に戻ろうかと考えています。新しい技術に関心があるため、洋上風力発電や地熱発電などに関わる仕事をしたいです。また、新たなビジネスに挑戦することにも興味があるため、M&A等の経営企画に関わる仕事にも魅力を感じています 。
人生の時間の3分の1を会社で過ごすのですから、つまらないことで時間を潰したくない。就職活動中に感じたワクワク感は、ずっといつまでも持ち続けたいのです。

これまでを振り返って感じる日鉄エンジニアリングの魅力とは、自分がこうしたいという気持ちを表に出せば、何とかしてかなえさせてやろうと誰かが手を差し伸べてくれることです。また、挑戦したいことがあれば、社内に技術的な専門家がいるおかげで絵に描いた餅で終わらせずに済みます。
こうした魅力は、ぜひ皆さんにお伝えしたいと思います。

エンジニアリング業界と聞いて、ピンとこない方も多いでしょう。当社の多くの社員も、最初はそうでした。
そこで皆さんにはぜひセミナー等に足を運んで、社員の生の声を聞いていただきたいと思います。きっとたくさんの熱い言葉を浴びることができるでしょう。少しでもワクワクを感じたら、ぜひ挑戦の一歩を踏み出してみてください。

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