好きな仕事、好きな仲間だから輝ける。そんな舞台を私は選びました。

好きな仕事、好きな仲間だから輝ける。そんな舞台を私は選びました。

このストーリーのポイント

  • 他にはない社員の人柄と社風のとりこになり入社を決める
  • 売場では徹底的に売上にこだわる姿勢を貫く
  • 売り場の店長、バイヤー、営業とさまざまな職種でキャリアを重ねる

とにかく明るいキャラクターで誰からも愛されるタイプ。「大事なことも直感で決める。どんなことでも何とかなる」と、とことんポジティブだ。仕事に対しても「好きだから続けている」とのこと。そんな前向きな姿勢をしっかりと生かし切れるフィールドが、ここにある。

-profile-

株式会社阪急阪神百貨店

阪急本店 婦人ファッション営業統括部 マネージャー
2008年入社/商学部卒

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神奈川県横浜市出身。横浜の中でも田舎で、キャベツ畑に囲まれた田舎で育つ。就職を機にそれまで全く縁のなかった関西での暮らしをスタートさせる。ファッションには特に強い興味があったわけではないが、婦人モードファッションという最先端の場でバイヤー・マネージャーを経験、キャリアを重ねる。

入社の決め手となったのは“相性”

高校1年から大学4年まで、7年間続けたのがファストフードのアルバイトでした。横浜駅前のお店で、とにかく忙しかったです。とても細かな接客マニュアルが用意されており、すべての行動はそれに従わなくてはなりません。驚くほどの細かさでしたが、そのすべてのルールは合理的で、納得して従っていました。接客の基本をここで学んだのは間違いありません。また、世の中にはいろんなお客様がいらっしゃるんだということも知りました。理不尽なクレームも少なくなかったです。どんなお客様であっても受け入れなければならないし、満足していただかなくてはならない。接客業のそんな厳しさも教わりました。

就職活動は、まず髪の毛を黒くすることから始めました。基本的には自分の好きなことと何らかの関わりがあることを軸に企業選びをスタート。例えば私が利用したことのあるお店だったり、好きなフィギュアスケートの大会スポンサーをしている企業だったり。阪急阪神百貨店との出会いも、ひょんなきっかけでした。
私は大学1年生の時から宝塚歌劇が大好きになり、その生の舞台の魅力に、すっかりとりこになっていました。阪急百貨店から説明会の案内が届いたとき、その会場が東京・日比谷の宝塚劇場の近くだったことから、「出演者の出待ちのついでに参加してみよう」と思ったのです。
その説明会では先輩社員が「自分が企画し商品化した洋服を着ているお客様を街で見かけ喜びを感じた」という体験談を話してくださいました。とても素敵な話だと感動し、自分も同じような体験がしたいと思い選考に進みました。

阪急阪神の魅力に引き込まれたのは選考のタイミングでした。面接で会った社員のみなさんは、他にはないくらい“ノリ”がよかったです。飾らずに本音で接してくれ、私と波長が合うなと感じました。私はどんなことも直感で決めてしまうタイプなので、「この人たちと一緒に仕事がしたい」と思ったのです。
今振り返れば、私は阪急という会社のことが、その瞬間に好きになったのだと思います。人を楽しませようという明るさがあり、ポジティブな空気がある。私はそんな社風のとりこになったのでしょう。
好きになった会社だから選んだ。そのシンプルな思いが、私の企業選びの決め手となりました。

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結果には徹底的にこだわる

同期50人の中で関東出身は私1人だけ。でも不安や違和感は全くなかったです。地名に疎く、土地勘がなかったことに戸惑ったぐらいでした。
その当時、新入社員研修は約1年半あったのですが、その最後の研修場所で西宮阪急のセレクトショップにいたときに、初めて自分のお客様ができました。きっかけはご来店のお礼にサンキューレターを出したことです。サンキューレターとはご購入いただいたお客様にお礼のお手紙をお送りすることで、阪急阪神百貨店ではよく行なっています。私はお手紙を書くことが好きなので紙面いっぱいに文字を記して送ったところ、「あんなにたくさん書かれた手紙をもらったのは初めて」と喜んでいただけたことが、私への指名につながりました。
そのお客様は私のことを気に入ってくださり、洋服のことはもちろん、仕事のこと、プライベートなこともおしゃべりする関係になりました。仕事を通じて人との“つながり”が生まれたことは嬉しかったです。

しかし、私はただおしゃべりを楽しんでいたわけではありません。その前提には、販売員としての結果をしっかりと出すことにこだわっていました。
お客様はいつも私のお勧めする洋服を買ってくださいましたが、それは私が普段の会話などからその方のことを分析し、きっと気に入ってくださると確信してお勧めしているからです。

印象深いのは5年目に阪急うめだ本店のワールドマップジーニストのアシスタントマネージャー(売場の店長)になったときです。店の移転を伴うリニューアルオープンを予定しており、とても忙しい日々でした。スタッフも総入れ替えとなり、売上達成に向けてメンバーの気持ちを一つにしていく難しさと楽しさを味わうことができました。

結果が出るとチームは一つになれるものです。モチベーションの高め方はメンバーによって様々です。売上を達成したことやお客様からの評価でやりがいを感じるメンバーもいます。しかしどんな人にも共通で、目に見える形で結果や成果が出ると仕事に対する姿勢が変わります。そのため、アシスタントマネージャーとして、目に見える結果である売上にはこだわり続けました。

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初めてづくしで成長の連続

入社7年目にバイヤーになりました。担当はモードです。実はバイヤーになりたいと思ったことは一度もなく、売場が大好きだったので当初はバイヤーへの異動は望んでいませんでした。
異動した時期がクリスマスシーズン直前だったので、立て続けにイベントが企画され、打ち合わせに、準備に・・・と追い立てられるような毎日でした。それまではお客様と向き合っていればよかったのですが、バイヤーになってからは取引先や社内の各部署が向き合う相手に。視界がまるで変わり、自分の視野が大きく広がりました。それでも忙しさのあまり、目の前の仕事をこなすので精一杯。自分の力不足、知識不足を痛感しました。

バイヤーとしては、海外の展示会に参加するためにパリへ行ったときのことが思い出深いです。一緒に渡った上司は、パリの街を歩いてお店をのぞくたび、ブランドの展示などから現在の格付けに敏感に反応していました。以前の私は担当しているブランドしか目に入らなかったので、そんな上司の姿を見て、もっと視野を広く持たなければと強く思いました。
さらにはファッションだけでなく、政治や経済も含め、世界全体の時代の流れにも敏感にならなくてはと感じ、メディアを通じてでもいいので、もっと世界を意識していたいと思うようになりました。これも私にとって大きな成長です。

3年前にモードのセレクトショップのバイイングマネージャーになったことも大きなチャレンジでした。コンセプトづくりからスタートし、ターゲットの設定や販売計画、収支計画まで踏み込んで売場をつくっていきました。それはまさに一つのお店を創業するのと同じこと。私には経営者と同じ感覚でお店づくりに取り組むことが求められたのです。
もちろんそれまでやったことのない仕事ばかりでしたから、一つひとつ手探りで進めていくしかありませんでした。私にとって経営企画は苦手な分野であるのは間違いないですが、仕事を通して日々、多くのことを学んでいます。これからもトライアンドエラーを繰り返しながら、経験を積んで行きたいと思います。

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自分の仕事が視界を変える

最近とても嬉しいことがありました。私がパリへ買い付けに行った商品を、宝塚歌劇のスターが衣装として身にまとってくれていました。その姿を私は一ファンとしてこの目で間近から見ることができたのです。夢が叶い、嬉しすぎで、その場で足が震えたほどでした。
入社前、日比谷の会社説明会の場で、先輩社員が話してくれた「自分の企画した洋服を着ているお客様を街で見た」というやりがいが、私の場合、こんな形で実現したのです。きっと今まで頑張ってきたことへの勲章だと思っています。

これまで私はさまざまな職場を体験し、少しずつ背伸びしながら一生懸命仕事に取り組んできました。その積み重ねが成長につながったと思います。今の上司からは「マネジメントに向いていると思うから挑戦したら」と言われており、これからも背伸びを繰り返していくのでしょう。
こんなふうに社員1人ひとりをよく見て、成長へと背中を押してくれるのが、阪急阪神百貨店なのです。

入社前、“ノリ”のいい会社だと感じましたが、今もその印象に変わりはありません。みんなフットワークがいいし、スピード感があります。そして何よりも自分のお店を愛しています。家族とご飯を食べに行くのも、友人と待ち合わせるのも、阪急阪神百貨店。そんな社員ばかりですし、誰もが『一番の百貨店』だというプライドを持っています。
もちろん私も自分のお店が大好きです。売場にいたときも「早く仕事が終わらないかな」と思ったことはないし、そんな気持ちで売場の時計を見上げたこともありません。お客様から愛され、社員も誇りを持っている、そんな環境だと、日々の仕事も自然と楽しくなります。

“好きになった会社だから選んだ”。私のこの選択は正解でした。

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阪急阪神百貨店について詳しく知りたい方はこちら

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