Uターン就職で手に入れた、夢中になれる仕事と穏やかな暮らし。故郷・三重への恩返しにも取り組みたい。

Uターン就職で手に入れた、夢中になれる仕事と穏やかな暮らし。故郷・三重への恩返しにも取り組みたい。

Uターン就職で手に入れた、夢中になれる仕事と穏やかな暮らし。故郷・三重への恩返しにも取り組みたい。

このストーリーのポイント

  • 落ち着いた生活を送りたいと考えて故郷にUターン
  • 地元企業の頼れる相談相手としてのやりがいと責任
  • 地域活性化への貢献をめざし、さらに自分を磨いていく

長い人生を考えて選んだ故郷へのUターン就職。温かな時間の流れを感じながら、腰を落ち着けてじっくりと仕事と向き合っている。地域活性化を通じた貢献が、これからの目標に。

PROFILE
株式会社百五銀行

福澤 僚佑

法人コンサルティング部
ストラクチャードファイナンス課
2013年入行

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兵庫県に生まれ、三重県で育つ。青山学院大学 経済学部経済学科卒。尾鷲支店、春日井支店、新道支店、伊勢支店を経て2023年に法人コンサルティング部ストラクチャードファイナンス課に異動、現在に至る。

※内容は、2023年9月取材時点のものになります。

自分という人間で勝負できる

三重県の魅力は、一言で言うと「人が温かい」ということでしょう。穏やかな土地柄なのは間違いありません。そんな三重県を離れたのは、東京の大学へ進むためでした。私は長男で、下に妹がいます。いずれは故郷で暮らすことになるだろうとは思っていましたが、父が「若いときに一度は都会で暮らした方がいい」とアドバイスしてくれたため、東京に出ることを決めました。
都会での4年間の学生生活は、とにかく楽しかったです。勉強に打ち込みながら、サークルやアルバイトも経験しました。全国から集まってきた仲間との出会いを通じて、人間的にも成長できたと思います。

父が金融関係の仕事に就いていたので、私も当初から金融業界を志望していました。金融業界では扱う商品に大きな違いはなく、自分という人間で勝負できるところに魅力を感じました。自分自身が商品と言ってもいいでしょう。
そこで金融業界各社を検討し、そのうちの1社として百五銀行も志望することにしました。どうしても地元に帰りたいという強い思いはなかったですが、三重県で働くなら百五銀行と考えていました。

私は関西で生まれて、小学校時代に三重県に引っ越してきました。自分ではあまり覚えていないのですが、親によれば転校することにはだいぶ抵抗したそうです。そういう話を聞くと、将来、自分の子どもには転校を経験させたくないという気持ちが強くなりました。
また、東京で働くなら、朝晩、満員電車に揺られなくてはなりません。その姿を想像した時、自分にはこれを一生続けるのはとても無理だとも思いました。そうしたことから最終的には故郷に帰る道を選び、百五銀行への入行を決めました。家族や親戚は私の選択を喜び、「おかえり」と私を温かく迎え入れてくれました。

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社長の頼れる相談相手として

三重県で働き始めて感じたのは、自分の育った場所ならではの安心感があるということでした。両親はもちろんのこと、地元の仲間がすぐ近くにいて、何かあっても助けてもらえるという思いは、精神的な落ち着きを私に与えてくれました。もちろん豊かな自然も心を癒やしてくれます。
百五銀行には、転居を伴う異動のあるⅠ種と、居住地から通勤可能な部署に配属されるⅡ種という2つのコースがあります。私が選んだのはⅠ種。異動で転居する可能性はありますが、百五銀行の店舗は圧倒的に県内が多いので、基本的には三重県内で暮らすことになります。こうした働き方ができるのも、地方銀行ならではの魅力でしょう。

同期入社は全員で100人弱でした。多くは三重県出身者だったと思います。同県人が多いということもあってか、職場はどこもアットホームで居心地がいいと思います。やはり人の温かさは、働く環境にも表れるということでしょう。同じ地元の仲間という関係性は、働く上での安心感にもつながります。

私は入行してから尾鷲支店、春日井支店、新道支店、伊勢支店と4つの支店を経験しました。新道支店は伊勢支店に統合されたので、実質的には3つの支店になります。
尾鷲支店で1年9ヵ月間、後方事務を通じて銀行の三大業務といわれる預金・融資・為替業務を学んだ後、法人営業として外回りをするようになりました。取引先を訪問するようになって実感したのが、地方銀行は地元の人々から本当に頼りにされているということです。地方ですので中小・零細企業も多く、家族経営のような会社も少なくありません。経営上の問題があっても社長の相談相手は奥様だけというケースもたくさんあります。そんなときに頼りにされるのが百五銀行。やはり地元を支えるのは地元の金融機関です。その信頼に応えようと、仕事に打ち込みました。

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高度なスキームを通じた顧客支援

印象に残っているのは春日井支店での出来事です。百五銀行にとって愛知県はまだまだアウェーの地です。三重県なら百五銀行を知らない人は少ないと思いますが、愛知県となるとそうではありません。競合となる銀行も多く、百五銀行を知らない人もいます。
そんな中で私はある企業の融資の案件をキャッチし、提案するチャンスをつかみました。同社はメガバンクを含め10数行と取引があるものの、どこの銀行も深耕ができていない状態でした。その中に混じって百五銀行も提案させていただく機会を得たのですが、結果は見事、百五銀行に決定。後で聞いた話では当行の提案した金利が最も高かったそうです。
金利が高いのになぜ百五銀行に決めていただいたか。それは「福澤さんが普段から親身になって対応してくれたから」と、経理部長が教えてくれました。確かに私はこまめにお客さまのもとに足を運び、仕事の話に限らず、幅広い情報提供を心がけました。立場が違っても最も大切なのは人間同士の信頼関係という信念があったからです。そうした思いが通じた結果の融資決定でした。
モノではなく人間で勝負したいと考えて選んだ金融の仕事。そこに間違いはなかったと確信した出来事でした。

入行10年で4つの支店を経験し、その後に配属されたのが本部の法人コンサルティング部です。ここは行内の精鋭が集まっているとされる部署で、辞令をもらったときは、まさか自分がと驚きました。当然プレッシャーはありましたが、大きな成長のチャンスと受け止めて異動しました。
法人コンサルティング部では各支店で発掘した案件について、支店の担当者と一緒に営業を進めていきます。その際、私が支店の最前線で得た経験や知見を伝えていくことが期待されていると受け止めています。これまでの支店での取り組みが評価されたことを嬉しく思うとともに、経験・知見の共有という使命を果たしていきたいと考えています。

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法人コンサルティング部ではストラクチャードファイナンス課に所属しています。
ストラクチャードファイナンスとは一般の融資とは異なり、案件ごとに融資の仕組みをつくっていく手法のこと。いわばオーダーメードの融資です。
異動して間がないこともあり、まだ勉強中というのが正直なところです。先輩方の会話には私の知らない横文字がたくさん飛び交っていて、当初は目を白黒させていました。もっとも今では自分でも気づかないうちにその横文字を口にしたりしていますが。
実は百五銀行は公共事業向けプロジェクトファイナンスで地方銀行トップクラスの実績を持ち、民間資金で公園整備を進めるPark PFIに全国で初めてソーシャルローン(資金使途を社会課題解決プロジェクトに限定した融資のこと)を融資するなど、先駆的な取り組みを行っています。いずれも地域の活性化に大きく寄与することが期待されており、私もぜひそうした貢献に取り組んでみたいと考えています。
日本の地方は人口減と高齢化によって活力を失っています。三重県も例外ではありません。ストラクチャードファイナンスを通じて三重県の活性化に少しでも貢献していくことが、これからの私の使命だと感じています。それは私を育ててくれた故郷への恩返しになると思っています。

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地に足のついた人生を

三重県には、美しい自然が広がる一方で商業施設も十分整っており、買い物等で不便さを感じることはありません。最近は近くに大きなショッピングモールもできました。都市部へのアクセスもしやすく生活環境としては非常に恵まれており、地に足のついた人生を歩んでいけると感じています。故郷に帰るという選択に間違いはありませんでした。

仕事の面では、ストラクチャードファイナンス課に配属されて間がないということもあって、まずはこの分野で早くひとり立ちすることが目標です。支店が発掘した案件について協力しながら取り組みやり遂げていきたいと考えています。

これまで“人”には本当に恵まれてきました。
ある先輩は、私が何をすべきかということを常に気にかけてくれ、絶妙なタイミングで「あれは進んでいるか」と声をかけてくれました。今思えば経験の浅い私のことを案じ、常に目を配ってくれていたのだと思います。とても尊敬すべき先輩です。私も後輩に対してはそんな気づかいのできる人間になりたいと思っています。
そしていつかは支店長になってみたいですね。支店長は一国一城の主です。誰に対しても温かく、百五銀行らしい居心地のいい支店をつくれたらと考えています。

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