「いつでも志を高く、自分に負けるな」幅広い挑戦の場が、自分の可能性を引き出してくれた。

「いつでも志を高く、自分に負けるな」幅広い挑戦の場が、自分の可能性を引き出してくれた。

「いつでも志を高く、自分に負けるな」
幅広い挑戦の場が、自分の可能性を引き出してくれた。

このストーリーのポイント

  • 地域の核として地元の人々の生活を支えるやりがい
  • 多様な営業スタイルを経験することで自分を磨く
  • たくさんの素晴らしい出会いが自分の財産に

三重県内で4割以上のシェアと、圧倒的な営業基盤を持つ百五銀行。活躍の場も多岐にわたっている。営業として幅広い経験を積むことができ、それが大きな成長につながる。

PROFILE
株式会社百五銀行

久保田 浩之

中部法人営業部
2013年入行

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愛知県に生まれ、3歳から三重県で育つ。金沢大学人間社会学域経済学類卒。鈴鹿支店、春日井パーソナルプラザを経て2021年に中部法人営業部に異動、現在に至る。

※内容は、2023年9月取材時点のものになります。

OBとの出会いで“地元の銀行”に目を向ける

学生時代を過ごした金沢は、都会過ぎず、田舎過ぎず、とてもいい街でした。
高校まで野球と陸上に打ち込んだ反動というわけではないですが、この街で私は仲間たちと自由に過ごし、存分に金沢生活を満喫しました。私は4人兄弟の長男で、下の子は年が離れていたこともあって、帰省中にはよく遊んでいました。

就活で金融業界に絞ったのは、特定の商品ではなく、人間力で勝負できる点に惹かれたからです。当初志望していたのはメガバンクや大手生命保険会社。三重県に帰って就職することは、あまり本気では考えていませんでした。
百五銀行はもちろん知っていましたが、候補として本気で考えるようになったのはゼミのOBだった豊田さんに出会い「この人と働きたい」と思ったことがきっかけでした。豊田さんの「生まれ育った故郷で暮らし、そこに貢献できるというのはいいものだよ」という言葉に“確かにそうだな”と共感したことで、百五銀行を志望するようになりました。

地方銀行には様々な逆風が吹いているのは事実です。しかし地域経済の核、地元の生活を支える柱という点に変わりはなく、ここは今後も変わることはないでしょう。お客さまとの距離は非常に近く、何か困ったことがあるとすぐにご相談いただけるのも、地方銀行ならではの魅力です。
地域に密着し、地域を支えていきたい。そんな志を持てるのが地方銀行です。採用面接で私は「お客さまと百五銀行と自分自身、三位一体で成長したい」と口にしました。その志は、今も変わっていません。
就職活動をしていた時に出会った豊田さんは、当時中部法人営業部で働いていました。あれから11年が経った今、私は同じ中部法人営業部で働いています。このことにも運命的なものを感じますね。

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支店で出会った上司の背中を追いかけて

最初に配属されたのが鈴鹿支店です。1年目は内部の仕事を担当しながら、生意気にも「いつになったら営業に出させてくれるのだろうか」と思ったものでした。
2年目になって営業に出るようになって、大変なことももちろんありましたが、お客さまには可愛がっていただいたと思います。この距離感こそ地域密着の面白みだと感じ、とてもやりがいを感じていました。

今でも思い出すのが、入行3年目の出来事です。鈴鹿支店で営業を担当して1年ほどたち、そろそろひとり立ちという頃でした。
新規のお客さまから「他行の融資を百五銀行に借り換えたい」という案件を発掘できました。当時の私にとってはとてつもなく大きな案件で、舞い上がる気持ちを抑えながら提案書の準備、融資係に提出する稟議書の作成などを急ぎました。ところがいざ契約を締結するというその日になって、お客さまが急に「やっぱりできない。久保田さん、ごめん」と言われたのです。まさに青天の霹靂でした。
ショックのあまり青ざめた私は、当時の上司に同行していただき3時間かけてお客さまを説得しました。次は次長を伴って、さらに2時間交渉しました。それでもお客さまは首を縦には振らず「ごめん」と繰り返すだけでした。
鈴鹿支店に戻った私は、あまりのことに号泣するだけ。一方で同行してくれた上司や次長、稟議書に協力してくれた融資係などを思い、銀行の仕事はチームで成り立っていることを改めて学びました。同時に“もう大丈夫”とどこかで気を抜いていた自分に気がつき、どんな案件でも決して気を緩めてはいけないということも痛感しました。

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このとき、お客さまのもとへ同行してくれた上司のことは深く尊敬しており、今も私の目標です。出会ったとき、上司は30代後半。ということは、私はあと5年で当時の上司の年齢になる計算です。この5年でどれだけ近づけるか、私の大きな課題です。
この上司は、どんなに忙しいときでも、私が相談にいけば必ず仕事の手を止めて話を聞いてくれました。その上で、私が担当しているお客さまについて、私より深く精通していました。今の私に同じことができるという自信はありません。いつかはあの上司のようになりたいと、今も背中を追いかけています。

その上司が転勤することになった時、私にある言葉を贈ってくれました。その言葉を今でも心に刻んでいます。手帳に貼り付けて常に持ち歩き、折に触れて読み返しています。
「いつでも志を高く、自分に負けるな」
自分のことをいつも気にかけ、指導してくれた上司への感謝の気持ちでいっぱいで涙しました。この言葉が私の支えになっています。

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新しい環境でも、1位の実績を挙げ続けられた理由

5年目に春日井パーソナルプラザに異動しました。ここは住宅ローンの営業に特化した部署です。百五銀行では住宅ローン業務を強化しており、全国の地方銀行の中でも突出した実績を誇っています。その最前線が各地で展開されているパーソナルプラザです。

営業のスタイルは独特で、個人のお客さまに直接営業するのではなく、住宅展示場に足を運んでハウスメーカーの営業担当者に百五銀行の住宅ローンを売り込んでいきます。マイホーム建築を決めたお客さまはどの金融機関に住宅ローンを申し込もうか、検討されますが、その際にハウスメーカーから百五銀行を紹介してもらうことが狙いです。

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それまでの支店の営業とはまったく違う仕事でしたので、最初は戸惑いがあり、ひたすらがむしゃらに取り組みました。
私がこだわったのは、百五銀行の住宅ローンを売り込むのではなく、私という人間を売り込むことです。ご相談があれば迅速に対応し、きめ細かくフォローする。すると次第に「百五銀行の久保田ならすぐに対応してくれる」という評判になり、別の営業担当に伝わっていく。その結果、まったく面識のないハウスメーカーの営業担当からいきなり電話で相談がきたこともありました。ある営業担当は、すべての案件を私に依頼してくれたほどです。
「久保田さんなら任せて安心だよ」という言葉とともに新しい営業担当をご紹介いただいたときなどは、これこそ人間力で勝負できる仕事だと実感しました。
結果として行内1位の実績を数年挙げ続けることができ、大きな成果を残すことができました。

私が支店からパーソナルプラザに異動して戸惑ったように、支店から異動してきた後輩の行員たちも戸惑っていました。その姿を目にして自然と私は悩みに耳を傾けたり、アドバイスしたりするようになりました。人に教える、後輩を育てるという点でも、私はここで新しい一歩を踏み出せた気がします。
パーソナルプラザの仕事は忙しくて大変だと聞いていたので、異動の際は正直、あまり気が進まなかったのも事実です。けれど違う環境に飛び込んだからこそ、新たな成長が得られたのは間違いありません。目の前の仕事だけに集中していた自分から、後輩やチーム全体を見る視点を身につけた自分になれたと思います。

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後輩たちのために、ロールモデルになってほしい
上司のメッセージは今もキャリアの道しるべ

現在、私は名古屋市に拠点を置く中部法人営業部に所属しています。春日井パーソナルプラザへの異動同様、まったく予期していなかった辞令でした。衝撃だったと言っていいかもしれません。
ただそのときも、上司が私の背中を押してくれました。「住宅ローン部署の経験者が他部署でも活躍することができる、ロールモデルになってほしい」。この言葉を胸に刻みながら、日々を過ごしています。
今の中部法人営業部は、愛知県を中心に中堅企業の新規開拓をメインにする、いわば法人営業の精鋭部隊です。三重県ならばともかく、愛知県は我々にとってアウェーです。担当者に面会するだけでも一苦労で、人間関係を築いて「ぜひお願いします」という手法は通用しません。そこで大切なのがお客さまの求めていることを考え、お役に立つことです。ビジネスマッチングなど、さまざまな手法でアプローチし、日々業務に邁進しています。営業として新しいスタイルを確立するためにもがいているところではありますが、手応えを感じています。

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これまでのキャリアで様々な分野、エリアの営業を経験し、それぞれの醍醐味や大変さも知りました。今後はこうした経験をこれから入行する世代に伝えていきたいと思っています。その意味でも、研修や育成といった仕事に挑戦したいという目標ができました。

現在私は32歳。生まれて6ヵ月の子供がいて、マイホームももうすぐ完成予定です。10年後、この子に「お父さんは百五銀行で働いているんだ」と胸を張り、息子も父親のことを誇りに思ってくれる、そんな存在になりたいですね。
振り返れば、百五銀行に入行以来、たくさんの素晴らしい出会いがありました。鈴鹿支店の上司は、異動に際して「いつでも志を高く、自分に負けるな」というメッセージを渡してくれました。また、就活のときに話を聞かせてくれた豊田さんが所属していた中部法人営業部で今の私が働いていることには、不思議な縁を感じます。

もし皆さんがこのメッセージを読んで百五銀行の門を叩いてくれたなら、入行後、ぜひ私に声をかけてくれると嬉しいです。そんな縁がつながっていくのも、百五銀行ならではでしょう。

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