転職で手に入れた銀行員本来のあり方と、地域に根付いた穏やかな生活〜公平に評価されるフェアな組織、それが百五銀行〜

転職で手に入れた銀行員本来のあり方と、地域に根付いた穏やかな生活〜公平に評価されるフェアな組織、それが百五銀行〜

転職で手に入れた銀行員本来のあり方と、地域に根付いた穏やかな生活
~公平に評価されるフェアな組織、それが百五銀行〜

このストーリーのポイント

  • 三重県で永住することになり、百五銀行への転職を決意する
  • 転職組であっても公平に評価されるフェアな組織
  • マイホームを手に入れ、地に足のついた生活を実現

キャリア入行者を積極的に受け入れている百五銀行。穏やかで人にやさしい行風のため、すぐに溶け込むことができた。銀行員としての仕事にやりがいを得ながら、家族とともに落ち着いた暮らしを実感している。

PROFILE
株式会社百五銀行

荻野 典昭

刈谷支店 支店長
2003年入行(中途)

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大阪府出身。大阪府立大学経済学部経済学科卒業後、1996年に新卒でメガバンクに入行。子供の出産を控え、家族との時間を大切にする生活にシフトしたいとの思いから転職を考えるようになり、30歳の節目に百五銀行に入行する。いくつかの支店を経て、2023年より刈谷支店の支店長に。

※内容は、2023年11月取材時点のものです。

「なんとかなる」という思いのもと、30歳で転職

生まれ育ったのは大阪の岸和田という街です。友人には自営業の家の子が多く、そのお父さんから会社経営の話を聞く機会があったことから、自然と経営者を支える仕事がしたいと思うようになりました。
学生時代は経済学を専攻しました。社会人になってからも勉強せざるを得ない環境に身を置きたいと考えたことも、銀行を志望する動機となりました。

新卒で入行したのは、メガバンクです。当時はバブル崩壊から金融自由化へと至る混乱の中にあり、銀行再編の嵐が吹き荒れていました。そんな中、がむしゃらに働いたものでした。
仕事の環境やキャリアに対しては何の不満もありませんでした。しかし28歳で結婚し、その翌年、家庭の事情で三重県に永住することを決断。当時、このメガバンクが支店統廃合を行っており、三重県の支店も廃店店舗が多かったことに加え、総合職の全国転勤は当たり前だったことで、三重県に永住することは難しいという現実に直面しました。こうしたことから転職を決意するに至りました。

銀行での仕事自体は好きでしたので、転職先も銀行にすることに迷いはなかったです。三重県で暮らしながら銀行で働くとなると、最初に浮かぶのが百五銀行。ホームページを見たら「中途採用募集」とあり、迷うことなく応募したところ、採用に至りました。とてもありがたかったです。
30歳での転職に、特に不安はありませんでした。メガバンクでは自分なりに成果を上げてきたこともあり、働く環境が変わってもやっていけるという自信がありました。子供が生まれるとわかっていても、この先も家族をしっかり食べさせていけるという確信があったのです。百五銀行に内定をいただいたのは、ちょうど長女が生まれた日でした。不思議な縁を感じたものでした。

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競い合うのではなく、支えあう風土がある

転職して最初に配属されたのが、三重県の桑名支店です。ここで私は自分を全否定されたような衝撃を受けました。前職では、まず自分の営業成績や支店の目標があり、それを達成するためにいかに案件を開拓するか、どのようにお客さまに提案するかというスタイルで働いていました。最初に融資額を定め、お客さまにどうやって「イエス」と言わせるかを考え、組み立てていたわけです。それが銀行員としての私の常識でした。ところが桑名支店の支店長は私に向かって「そんな営業は絶対にしてはならない。確かにそのやり方なら支店の数字は上がるかもしれないが、百五銀行はそういうことはしないんだ」と強く言われました。

最初私は“支店長は何を言ってるんだろう”とまったく理解できませんでした。しかし繰り返し、その言葉を耳にするうちに、これまでの自分の営業スタイルはなんと傲慢だったのだろう、お客さまのことはまったく考えず自分たちの都合だけで動いていたのではないかと、思い至るようになったのです。私にとって非常にショッキングな出来事で、これを機に銀行員としての自分のあり方が180度変わったのは間違いありません。

入行当初は戸惑いもありました。風土も前職とはまったく違うと感じました。「穏やか」「温かい」という三重県の県民性が行風にも反映されているようでした。前職では支店の中で行員が成績を競い合い、言葉は悪いですが、ふるいにかけていくようなところがあったことは否定できません。しかし百五銀行では、つまずきそうな人がいたら周囲の仲間が手を差し伸べて、支えてくれます。私自身も大きなミスをしてしまって上司と一緒にお客さまに謝罪に行きましたが、職場の全員がそのミスをカバーしようとしてくれました。
もちろん昇進、昇格につながる評価についても公平で、上司の前だからと自分をよく見せようとポーズを取る人は皆無です。お客さまに対してはもちろんのこと、行員同士も、とてもフェアな関係性だと思います。

とはいえ、やはり転職してきた当初、心細さはありました。誰も口には出さなくても“メガバンクから来た”という目で見ているに違いないと思い、自分なりに無言の圧のようなものは感じていましたし、同期の仲間がいなくて愚痴をこぼすこともできませんでした。そうした不安な気持ちを察してくれたのか、支店の同僚や支店長はよく声をかけてくれましたし、皆さん、とても優しかったです。心細さは時間とともに消えていきました。

百五銀行の素晴らしいところは、支店で一緒に働いていた仲間が、別の支店に異動してもプライベートでの付き合いが続くことです。そういう付き合いができるというのは、すごくいい組織だと思います。

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転職者としてのハンデは一切なかった

2021年に大阪営業部で次長に昇進しました。新卒で入行している同年代の方々と比較しても、特に昇進が速い・遅いという感じはなく、中途入行というハンデはまったく感じていません。先ほども言ったように、非常にフェアな評価をしてもらえる銀行ですし、自分では、前職から培ってきた営業力に加え、長く営業推進委員として若手の育成に取り組んできたことが評価されたのでは、と考えています。

その2年後、刈谷支店の支店長に昇進しました。支店長は一国一城の主であり、支店長が変わると支店も大きく変わると言われています。そのような責任の重い立場になったことには、当然プレッシャーも感じています。支店のみんなに、私が支店長になってよかったと思ってもらえているだろうとかと、常に自問自答する日々です。職員には「三方よし」の考えで、「お客さまの期待を超える接客を行い、自分自身が納得感を得られる仕事を行い、支店業績に貢献する」ことを浸透させたいと考えています。三方の中で最初に来るべきなのは、言うまでもなくお客さまです。

支店長として最も大切にしているのは人材育成です。職員それぞれの持ち味を引き出し、できる限り伸ばしてあげるとともに、課題は一緒になって克服してあげたいと考えています。私は銀行の仕事が好きなので支店長という仕事はできる限り長く続けたいと考えており、この先、どこの支店に赴くことになろうとも、1日でも長く支店長として働き、若い人材を育てていきたいと考えています。
これが私を育ててくれた百五銀行に対する恩返しにつながったら、こんなに嬉しいことはありません。

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マイホームを手に入れ、家庭を築く

百五銀行に転職し、ちょうど20年が過ぎました。一番よかったと思うのは、やはり三重という土地に根を張った生活を実現できたことです。百五銀行に内定をいただいた日に生まれた長女は20年後の今、20歳になりました。

メガバンク時代の同僚や先輩にもたまに会うのですが、全国転勤があるため、なかなかマイホームが持てないと聞きます。もし私もあのままメガバンクに残っていたら、現在のような生活は実現できていなかったでしょう。改めて20年前の選択は間違ってなかったと振り返っています。

収入は、転職における大きなポイントだと思います。百五銀行は地銀の中でも給与水準は高く、特に厳しいと感じたことはありません。むしろ前職に比べて飲みに行く回数が減った分、支出をだいぶ抑えられましたし、キャリアを重ねた今は十分な収入を得られているという実感があります。そして、何よりもやりがいの部分で充実感を得られています。
銀行の仕事は面白く、刺激的です。経済のダイナミズムをリアルに感じられ、自分の成長も実感できます。その銀行という舞台で、自分というフィルターを通じてお客さまにご満足いただけることは、大きなやりがいに感じています。

百五銀行は、お客さまのため、地域のためというスタンスを貫いており、職員同士が互いに思いやる文化もあります。転職は人生の大きな転機で、勇気の要ることですが、それだけにどのような環境で、誰と働くかが最も重要になるでしょう。ぜひ百五銀行ならではの魅力を知っていただき、ご縁があって一緒に働けたら嬉しく思います。

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