ひとりのファイナンシャルアドバイザーとして開いてきた道。後輩たちに、ぜひ続いてほしい。

ひとりのファイナンシャルアドバイザーとして開いてきた道。後輩たちに、ぜひ続いてほしい。

ひとりのファイナンシャルアドバイザーとして開いてきた道。
後輩たちに、ぜひ続いてほしい。

このストーリーのポイント

  • 「アジア×金融」のキーワードでアイザワ証券を志望
  • 継続することで成果が得られるというリテール営業の本質を学ぶ
  • 産休・育休から復職し、時短で勤務を続ける

ファイナンシャルアドバイザーとして、母親として、どちらも充実した毎日を送りたい──。アイザワ証券には、そんな思いをかなえるための制度や環境が整っている。自ら開いてきた道を振り返りながら、後に続く後輩たちへエールを送りたい。

PROFILE
アイザワ証券株式会社

白倉 麻衣

町田支店

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2014年入社。国際学部卒業。入社後、調布支店でファイナンシャルアドバイザーとしてスタート。3年目に育休・産休を取得し、子供が1歳になったタイミングで復職。時短勤務で仕事を続ける。子供の小学校進学に備えて町田支店に異動し、現在に至る。

「アジア株といえばアイザワ証券」

父の仕事の関係で、生まれてすぐに香港に渡り、9歳半まで暮らしました。近くに金融街があったことなどを覚えています。物心がついたときに海外で暮らしていたことで、自然に日本と世界の関係を意識するようになりました。大学で国際コミュニケーション学科に進み、比較文化論を学ぶことにしたのも、こうしたバックグラウンドのためだと思います。

学生時代で思い出深いことは、半年間、韓国に留学したことでした。K-POPや韓流ドラマが日本で人気を博していたことで、韓国の文化に興味を抱いたわけです。韓国にはどうしても“反日”というイメージがあり、私も行く前は少し身構えていたのですが、実際にはイヤな思いはまったくしませんでした。異文化を理解する上で、実際に現地に飛び込んでみることがいかに大切か、教えられた思いでした。

香港で育ったことや韓国への留学体験から、私は東アジアに強い興味を抱くようになりました。一方で父が株取引をしており、学生時代にリーマンショックも起きたことから、金融業界にも関心を持つようになりました。そこで就職活動では「アジア×金融」というキーワードで企業研究を始めました。そこで出会ったのが、アイザワ証券だったのです。
「アジア株といえばアイザワ証券」と評価されているように、アジア株の実績では業界最大級なのがアイザワ証券。私の就職活動の“軸”にふさわしい企業だと感じました。
面接での対応も丁寧で、私という人間を詳しく知りたいという思いが強く伝わってきて、迷うことなく私はアイザワ証券への入社を決めました。

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諦めずに続けることの大切さ

就職活動の頃から私は、将来結婚して子供を育てるようになっても、ずっと働き続けたいと思っていました。アジア圏の女性は元気で働き者というイメージがありますが、私が暮らしていた香港でも、金融街でイキイキと働く女性がたくさんいました。幼い私は彼女たちの姿に、自分の将来を重ねていたのかもしれません。
企業選びに際しても産休・育休をはじめとして、女性が長く働くための制度が整っているかという点は重要なポイントでした。
アイザワ証券はもちろん制度面では十分です。ただ当時は幼い子供を育てながらリテール営業をしている女性の先輩はいなかったため、ロールモデルがないという不安はありました。入社後は自分で道を開いていかなくてはという思いが強かったです。

同期入社の仲間とは、「女性初の支店長になりたい」「とにかく会社に貢献したい」と夢を語り合ったものでしたが、誰の心にも「私にもできるだろうか」という不安もありました。だからこそこうした仲間たちの存在はとても心強かったです。

研修の後、配属されたのは調布支店でした。ここで私はリテール営業としてのスタートを切りました。
若手の基本は、新規開拓です。私も先輩に同行して一通り基本を教わった後は、自分の足で市内を歩き回ってお客様宅を訪問しました。初めての新規開拓は決して楽ではありませんでしたが、お客様との出会いはとても楽しいものでした。
今でも思い出すのは、たまたま新規開拓で訪問したお客様から、一週間後に私宛てにお電話がかかってきて「資産継承について相談したいんだが」というご連絡をいただいたことです。ちょうどお孫さんが誕生した後で、将来に向けた準備を始めたいとのことでした。とても嬉しいお電話でした。
なかなか結果が出ないとき、先輩は「誰でも通ってきた道だから大丈夫」「必ず成果がついてくるから」と励ましてくれました。その言葉通り、諦めずにドアをノックし続けたことでお客様を獲得できたのです。この成功体験は私に、苦しくても頑張ってやり続けることの大切さを教えてくれました。どんな時代も“足で稼ぐ”ことがリテール営業の基本なのは間違いありません。

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ロールモデルになりたいとの思いで

入社3年目、私は大きな転機を迎えました。結婚し、妊娠したことで産休・育休を取得したのです。
最初に相談した上司は、とても驚いた様子でした。というのもそれまで支店で産休・育休を取得したケースはなかったからです。もちろん上司はとても喜んでくれましたが、一方で「リテール営業の仕事は大変だから、本当に復職できるのだろうか」と心配してくれました。その後、支店長に報告したところ、快く私の産休・育休を受け入れてくれ、「待っているよ」と復職に向けた私の決意を後押ししてくれました。
私に自信があったわけではありません。けれど周囲の皆さんの励ましに、きっとできるはずだと自分に言い聞かせ、そして自分がロールモデルにならなきゃいけないんだという思いを一層強くしました。

産休・育休の期間は1年10ヵ月。息子が1歳になったタイミングで仕事に復帰しました。
休んでいる間は不安でした。果たして以前のように仕事ができるだろうかという不安です。その解消に力を貸してくれたのが、先輩でした。
私の入社時こそ子育て中のリテール営業の女性社員は少なかったですが、その頃には入社時より研修などで知り合った先輩が産休・育休を経て復職していました。その先輩からご連絡があり、一緒に食事しながら復職に向けたアドバイスや会社の状況などについて情報をいただきました。
不安が完全に解消したわけではありませんでしたが、先輩の言葉に勇気づけられ、“とにかく戻ってがむしゃらにやるしかない”という気持ちを新たにしました。

復職後は子供を保育園に預け、16時までの時短勤務で働き始めました。
仕事の基本は休眠開拓、つまり口座を開いていただいたものの、お取引が途切れてしまっているお客様への再アプローチです。リストをもとにお電話し、アポイントが取れたら訪問して再度のお取引をお願いすることが基本です。遅い時間にアポが設定できないことからもどかしい思いもしましたが、一方で限られた時間の中で成果を上げることを意識するようになったためか、予想以上に効率よく仕事をこなせるようになりました。時短勤務だからこそ時間の使い方を工夫し、考えながら仕事をするようになったと思います。
印象深いのは、住所は正しいのに連絡の取れないお客様のことです。不思議に思ってご自宅まで訪ねてみると住まいはなく、ただ郵便ポストだけがぽつんと立っていました。そのポストにご挨拶の手紙を入れて帰ってきたところ、後日、ご連絡をいただきました。実はご自宅は火事で焼失し、再建に向けて準備を進めているところだったというのです。そして私の手紙を見つけて、一度相談したいと思われたとのことでした。新規開拓と同じように、休眠開拓の仕事でも、諦めずに粘り強く続けることが大切だと学びました。

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後輩たちのために道を開きたい

入社10年目を前にして私は、調布支店から町田支店へ異動しました。
通勤時間が短くなったおかげで、それまでより30分長く、16時半まで働けるようになりました。少しではありますが、お客様に電話したり訪問したりする時間が増え、成果につながってきていると感じます。

町田支店には入社1年目と2年目の女性のファイナンシャルアドバイザーが3人勤務しています。私自身まだ自分のことだけで精一杯ではあるものの、後輩にとってのいいロールモデルにならなくてはという思いはとても強いです。いずれ業務面でも指導できるようになりたいと思っています。
私自身のキャリアについてはまだ模索中で、当社のCDP(キャリア・デベロップメント・プログラム)制度に沿って道を開いていくことになるでしょう。当社で活躍する女性社員は増えましたが、女性支店長は現在1人だけ。支店長を目指すか、本社部門を目指すか、まだ具体的な志望は決めていませんが、自分でキャリアアップを図っていきたいと考えています。

女性の働き方は多様です。仕事を続けてもいいし、家庭に入ってもいい。どんな生き方を選ぶかは、自分で決められるし、選択肢の豊富さは人生の豊かさに通じるといえます。
これから社会に出て行く皆さんには、どんな生き方をしたいのか、ぜひ主体的に考えて決めていただきたいと思います。リテール営業の第一線で仕事を続けながら母親として子育ても楽しみたいという、そんな欲張りな生き方も、素晴らしいものです。

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