地域の人々と一緒に一歩ずつ。スズキの“業販営業”ならではの喜びがある。

地域の人々と一緒に一歩ずつ。スズキの“業販営業”ならではの喜びがある。

地域の人々と一緒に一歩ずつ。
スズキの“業販営業”ならではの喜びがある。

このストーリーのポイント

  • BtoBビジネスを通じて、スズキの拡販に取り組む
  • 地域の違いが仕事の面白さを広げ、自分を成長させてくれる
  • 入社時から変わらない志で、販売会社の社長を目指す。

初めての関西で人間関係づくりを学びながら成長を実感。BtoBの業販営業だからこそ得られる深い信頼関係が喜びに。担当する地域が変わっても、この醍醐味は変わらない。将来は経営者という目標を掲げて、自分を磨き続けていく。

PROFILE
株式会社スズキ自販静岡

石松 剛

藤枝営業所(出向)
2010年入社/法政経学部卒

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千葉県出身。コミュニケーションは得意ではなかったが、鍛えようと営業職を志望。関西の販売会社を経験して現在は静岡県の販売会社に所属。この先も北海道から沖縄まで、全国どこでも活躍したいと考えている。

身近な存在だったスズキのクルマ

学生時代は新規オープンした居酒屋でアルバイトをしました。担当は調理です。幅広い世代のスタッフとのコミュニケーションを通じて人間関係の築き方を学ぶと同時に、お金を稼ぐ大変さも知りました。あの頃の仲間とは今も付き合いが続いています。塾講師のアルバイトもかけ持ちし、生徒にものを教えることの難しさを体験しました。粘り強さも身につけられたと思います。

アルバイトは私の人生においていい経験になったことは間違いないのですが、3年生からは卒業に向けて勉強に全力で取り組むことになりました。専攻は経営学でしたので、経営学のゼミで企業研究に打ち込みました。
就職活動では「自分は人見知りだし、コミュニケーション力が足りないから、営業で鍛えてもらおう」という気持ちでスタートしました。そして、どうせ売るなら高いものがいいけれど、自分にとって身近ではない不動産業界で働くイメージは持てず、当時イメージしやすかった自動車業界の営業職を志望することにしました。
振り返れば家族がずっとスズキのクルマに乗っていて、私も「エスクード」を運転して友達とドライブを楽しんだ記憶があります。生活の中に自然にスズキのクルマがありました。スズキへの入社はそんな“縁”での巡り合わせだったのかなという気もします。

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“街のクルマ屋さん”との関係づくり

入社後の研修を経て配属されたのが、株式会社スズキ自販兵庫 加古川営業所でした。所属はメーカーのスズキですが、出向という形で販売会社に所属したわけです。関西は初めての土地。そこでの一人暮らしは不安であり、ちゃんと仕事ができるようになるか心配でした。それでも結果的に5年を加古川で過ごすことになり、社会人としての出発点ということもあって、いろいろと思い出深い地になりました。
スズキの営業の基本は“業販”と呼ばれる独特のものです。一般的にはあまりなじみのない営業スタイルかもしれません。
クルマの販売というとメーカー系列のディーラーでの仕事を思い浮かべる人が多いでしょうが、私たちは個人のお客さまではなく、“街のクルマ屋さん”と呼ばれる業販店に向けてクルマを販売しています。つまりBtoCではなくBtoBの営業です。皆さんも、整備工場のような店構えで「新車販売」と書かれた看板を掲げているお店を見たことがあるでしょう。その一つ一つが全国各地に点在する“街のクルマ屋さん”です。 修理工場や中古車販売業を営みつつ、同時に様々なメーカーの新車も販売している“街のクルマ屋さん”。そこでスズキのクルマを一台でも多く売っていただけるようにプッシュするのが業販営業の仕事です。

私が業販営業としてスタートした関西は、他メーカーの勢力が強いエリアです。さらに、関東出身の私は、関西の方はせっかちで、言葉もきついという印象をもってり、いわば私たちにとってはアウエーの環境でした。その中で他社よりスズキのクルマを売っていただくためには、クルマを売り込むことはもちろんのこと、何よりも私という人間を売り込み、信頼関係を築かなくてはなりません。ビジネスの取引である前に、人間対人間の関係が大切なのです。
そんな中で私は担当する20店ほどの“街のクルマ屋さん”の社長の言葉に耳を傾け、要望にお応えしてきました。時には遅い時間まで一緒にお酒を飲み、ご馳走になったことも。翌朝には「夕べは遅くまで悪かったなあ」という電話をいただき、距離が縮まったと感じたこともありました。
こうした関係づくりが、私は好きでした。どんなときでも誠実であれば、誰とでも信頼関係は築けます。大勢の社長さんからかわいがっていただいたというのが、一番の思い出です。

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地域が変われば仕事の手応えも変わる

異動を迎え、5年間勤務した加古川営業所を離れることになったときのことはよく覚えています。お取引先の1社である販売店さまに異動のご挨拶に伺ったところ、その販売店さまも同じタイミングでの廃業を決めていたのです。ご夫婦2人で切り盛りしており、後継者もいないことから、廃業に踏み切ったとのことでした。
ご挨拶の際はお昼ご飯をご馳走になり、その場で「これから夫婦での生活の足に」とスズキのクルマをご購入いただくことに。多くのメーカーのクルマを扱ってきた中で、ご自身のプライベート用に選んでくださったのがスズキだったわけです。その気持ちが大変に嬉しく、「新天地でも頑張れよ」の言葉には胸が熱くなり、温かさを感じました。
日頃からこまめに足を運んで様々なご要望にお応えしてきましたが、そうした私の姿を認めて、お気持ちを返してくださったのだと思います。業販営業ならではの喜びを味わいました。

加古川営業所の後は同じ関西の伊丹営業所を経て、7年目に静岡県の藤枝市に移りました。異動先は株式会社スズキ自販静岡の藤枝営業所。引き続き出向という形での仕事です。
仕事の内容はこれまでと同じで、“街のクルマ屋さん”がお客さまとなります。担当は50社ほどに増えました。ただ仕事の内容やお客さまは変わらなくても、その中身はまったく違うのが面白いところです。静岡のお客さまはおっとりした方が多く、皆さんとても穏やかです。人間関係づくりに苦労することもありません。スズキのファンが多いのも静岡の特徴で、一転してここではホームという感覚で仕事ができています。もちろん追われる立場になったわけですから、ホームだからといって気を抜くことはできません。
このように地域性というのは、思った以上に大きく違うもので、それを肌で感じられるのも業販営業の面白みと言えるでしょう。

地域によって風土や人柄は大きく変わるものの、その地域の皆さんに貢献しているという手応えに変わりはありません。基本的に私が個人のお客さまと接することはあまりありませんが、私が“街のクルマ屋さん”を通じて販売したクルマが走っている姿を見ることはよくあります。 広い国道ですれ違ったクルマが自分の売った一台だというのはすぐにわかりますし、地元の人が運転している姿を見ると心の底から嬉しくなります。かつての私の家がそうだったように、地元の人々の生活にスズキのクルマが溶け込んでいる──その実感は大きな喜びです。

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その土地に自分の足跡を刻みたい

異動してくるまで静岡は自分とは無縁の土地でした。けれどクルマの販売を通じて少しずつ自分という人間の足跡をこの街に刻むことができています。この感覚は、どの街に行っても変わりません。
いずれまた異動で違う土地の販売会社へ行くことになるでしょう。どうせなら今まで足を踏み入れたことのない土地で仕事をしてみたいとも思います。北海道や沖縄など、厳しい自然の中でのカーライフの提案も面白いでしょうね。ぜひ挑戦したいものです。

クルマの販売を通じてこの街に自分の足跡を刻んだのと同様、“人”も残していきたいと考えています。つまり人材育成です。現在私には6人の後輩がいますが、私が異動して去った後、彼らにはぜひ私より多く売れる人間になってほしいと考えています。自分が磨いてきたスキルやノウハウを伝えると同時に、後輩1人ひとりが持っているポテンシャルを引き出して成長の後押しをしたいですね。これも営業の仕事のやりがいです。
今は1人のプレーヤーですが、今後異動を重ねていくことでまずは営業所の所長を目指します。同時にメーカーである本社でもマーケティングや販売施策の立案などの仕事を経験し、営業としての幅を広げていきたいと考えています。
その先に目指すものは、販売会社の社長。これは入社時から変わることのない志です。40代後半には達成したいと思っています。
地域の住民の皆さん、“街のクルマ屋さん”、そして1人ひとりの社員。その三者を幸せにしてあげられる、そんな社長になることが私の夢です。

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